昭和32年(1957年)9月13日から全20回にわたって琉球新報で掲載された “基地の街エレジー” のまとめ・解説ページを作成しました。理由は、当時の時代背景をある程度説明しておかないと、記事内容を理解できないのではと考えたからです。
もちろんブログ主は当時を生きた琉球住民ではありませんので、正確に説明できる自信はありません。ただし今回紹介する史料は、比較的にイメージが湧きやすい復帰前(昭和47年)でなく、沖縄戦が終結し、琉球政府が設立された昭和27年(1952)から5年後の社会が舞台なので、やはり何らかの補足説明は必要かと思われます。
実は意外に知られてなくてブログ主はビックリしたのですが、昭和32年(1957)は琉球・沖縄の歴史における2度目の大好況の時代なんです。ものすごい景気過熱の時代で、翌年33年(1958)9月に法定通貨をドルに設定したことも相まって、昭和46年(1971)8月のニクソン・ショックまで10年以上も好景気が続きます。
ただしこの景気過熱は、社会秩序の再建途中で起こったため、過渡期にありがちな矛盾が社会のいたるところで発生します。その最高レベルの史料として “基地の街エレジー” を読み進めることをおススメします。
ちなみにこの特集記事は欠番があるため全20回の紹介はできません。そのためブログ主が選出した複数の記事のみ掲載します。
興味深いのが、題字が通告なしで “基地の街エレジー” から “コザの街エレジー” に変更されたり、サブタイトル欠落や、番号重複など、紙面編成の杜撰な部分が目につくことです。このあたりも時代かなと痛感します。
最後に今回の特集記事にはアメリカ世時代を象徴する2つのキーワードを見出すことができませんでした。それは “沖縄ヤクザ” と “オキナワン・ロック” です。その理由については後日改めて言及します。