【旭琉會】永山暫定代表の就任について

今月13日の琉球新報DIGITAL版に唐突な感じを受けましたが、”沖縄の指定暴力団「旭琉会」の暫定代表、永山幹事長が就任  世代交代への足固めか” と題した記事が配信されていました。

配信当時はあまり興味を持たなかったのですが、ヤクザ関連の史料整理中に、今回の人事の重大性に気が付きましたのでブログ主なりに解説します。

正直なところ暫定代表の永山克博さんについてはあまりよく知らなかったため、手持ちの史料をチェックしたところ、いくつかの手がかりを見つけることができました。

まず “二代目照屋一家総長” の肩書ですが、この一家は旭琉會の中でも名門中の名門です。初代の照屋正吉さんについてはある程度把握できたので紹介しますが、彼は元那覇派所属、沖縄連合旭琉会の大物で、又吉世喜理事長の葬儀(昭和50年10月17日)のお悔やみ欄を見ると、友人代表として仲本善忠会長から数えて15番目に記載されています。

二代目旭琉会(昭和53年9月)においては照屋一家総長として副会長に就任。昭和57年(1982)10月に多和田会長が射殺された後は、暫定的に二代目旭琉会のトップを務めます。ただし彼が正式に跡目を継がなかったのはおそらく照屋一家が理事長派(富永派)だったからと考えられます。

永山克博さんは平成3年頃に二代目照屋一家総長として沖縄旭琉会に所属しています。つまり旭琉会の大物である照屋正吉さんの跡目を継いだひとかどの人物であると言えます。

次に組織内の序列ですが、富永清会長の葬儀のお悔やみ欄(令和元年7月15日)から “6位” であることがわかります。

旭琉會の序列上位に配置されているように、彼は長きにわたって富永清会長を支えて来た “盟友” と言える存在です。そして現在でも花城松一会長代行下、組織の幹事長を任されている重要な人物です。

正直なところ永山幹事長が “暫定代表” として抜擢された理由がいまいちよく分からなかったのですが、その後3月7日付「週刊大衆」と3月3日付「週刊アサヒ芸能」の記事を読み比べることで疑問が氷解しました。実は琉球新報の記事、週刊大衆、そして週刊アサヒ芸能の記事には重大な共通点があります。それは旭琉會のトップである花城松一会長代行の名前が出てこないのです。おそらく組織として近々(花城さん関連の)大イベントを開催せざるを得ない状況があるわけで、それは誤解を恐れずにハッキリ言うと、

花城松一会長代行のXデー

が間近に迫っているのです。つまり永山暫定代表は近い将来 “義理がけの責任者” として組を動かさないといけない重責を担うわけです。

ご存じの通りヤクザの世界において冠婚葬祭などの “義理がけ” は極めて重要です。そしてその場にトップが不在となると組織の面目が立ちません。ブログ主は、永山暫定代表は花城会長代行のXデー後の “義理がけ” が無事に終わった後、正式に会長に就任すると予想しています。

最後に今回の人事が内部抗争につながるか疑問に思われる読者もいらっしゃるかと思われますが、その可能性は極めて低いと見ています。もちろんブログ主の予想が的中するかは “神のみぞ知る” ことですが、今後の旭琉會の動きは注視すべきと確信して今回の記事を終えます。