(続き)前回の記事で「りうきう・おきなわの歴史上で童名(わらびなー)に “おぎやか(神の血縁者)” と名乗った人物はたった一人しかいない」と指摘しました。童名については改めて言及するとして、今回は史料上に残された名前から彼女の正体を考えてみます。
というか彼女に関しては信頼できる史料がほとんどないと言っても過言ではなく、唯一ブログ主が参照したのが沖縄県立図書館にある『王代記』の中の記述のみです。そこには彼女について、
妃 世添大美御前加那志 童名宇喜也嘉 正統十年乙丑生 弘治十八年乙丑三月初一日薨 壽六十一 號月光 葬于玉陵 父母不傳
とあり、尚円王妃として記されています。(参考までに正統十年は西暦1445年であり、弘治十八年は1505年なので、彼女は15世紀の人物としては長寿の部類であることがわかります。)
今回は “世添大美御前加那志” の名称について考察していきますが、読み方は(おそらく) “ゆすぃ・うふみ・うどぅん・がなし” で、「大美御前加那志」の部分は文字通り “とても美しいお方” の理解で間違いないでしょう。
問題は「世添」をどう解釈するかです。
「添」は古語辞典によると”付き従うもの” から転じて “結婚する” との意味もありますので、その場合は「世」は尚円王を指します。そうなると「世添」は「尚円王妃」を意味し 、つまり世添大美御前加那志は “尚円王妃であるとても美しいお方” と解釈できます。
ただし彼女が生きた時代に近い史料(おもろさうし)を参照すると、「添」は「襲」と同義であり、その場合は「治める」の意味になります。そうなると「世添」は “世を統べる(治める)” と解釈できます。
そうなると「世」をどのように解釈するか迷うのですが、ひとつは当時のりうきうは聖(権威)と俗(権力)が分化した社会でしたので、彼女は「聖なる領域を統べる」、すなわち “神女たちの頂点に立つとても美しいお方” と解釈する方法です。もうひとつは「世」を文字通り解釈して “世(りうきう)を統べるとても美しいお方” 、すなわち政治(権力)と祭祀(権威)の上に君臨する “女帝” との解釈です。
いまとなっては何が正しいかを判断する術はありませんが、もしも「りうきうを統べるとても美しいお方」の解釈が正しいのであれば、彼女はりうきう・おきなわの歴史上に存在した(であろう)唯一の女帝ということになり、従来の歴史認識と真っ向から対立します。だからこの案件を正面から取り上げる歴史家はしばらく出てこないかと思われます。
それゆえに彼女に関して、同時期の信頼できる史料があればと心底悔やまれますが、いまさら恨み言をつぶやいてもしょうがありませんので、次回は童名の “おぎやか” について言及します。(続く)
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