今回は趣向をかえて真面目に古琉球の謎について言及します。実は去年からブログ主は『おもろさうし全釈』(鳥越憲三郎著)の写本に取り組んでおりまして、現時点で巻一から巻五までのオモロを書き写しました。
その中で “巻五 – 首里おもろの御さうし” のなかに “おぎやか” に言及した箇所があり、その部分を写し取ったあと、ブログ主は長年の疑問を解き明かした爽快な気分になりましたので、備忘録として当ブログにまとめてみました。読者のみなさん、是非ご参照ください。
まず “おぎやか” という単語についてですが、伝統的には「浮き揚り」と表記し、そこから転じて “優勝(もっともすぐれたもの)” と解釈します。有名なところでは東恩納寛惇先生が論文「王の神号」で “おぎやか” を「浮揚」の意味であると記しており、ほかに仲原善忠先生や、おもろそうし研究で有名な外間守善先生も寛惇先生の解釈をそのまま引き継いでおります。
上記の解釈にはもちろん異論や反論があり、ここではすべて説明できませんが、一例として崎間敏勝先生の解釈を紹介します。
「おぎやか」は尚円王の後妻で尚真王の生母となった女性の名である。彼女は幼な我が子尚真のためにノロを動員し「おもろ」を唱えて尚宜威王をその就任後わずか半年で追放した女傑であった。「辞典(仲原・外間先生が編集したおもろそうしの辞典のこと)」はこの歴史的事実を知らずに無理に「浮き揚り」にこじつけたようである。しかし「浮き揚り」はいくらひねってみてもとても「おぎやか」にはならない。
なお「おぎやか」の語義を考えるとこれは元来「おかか」と呼ぶ場合があった。またこんな経験がある。昨年東京都内のあるホテルのロビーにいると若い恩納がかたわらの電話ボックスに入って電話をかけだした。しばらくすると2歳位の男の故が近づいてきて「カーカ、カーカ」と言った。私ははじめこれは鳥の鳴き声をまねたのかと思ったが、やがて「母」のことだと気がついたのである。このような例から「おぎやか」は「お母」であり、したがって「おぎやかもい」は「お母思い」であり、自分を愛護した母に対する尚真王の思慕の姿をあらわしたものと考えられる。(下略)
引用:「おもろ」の思想(上)- 崎間敏勝著 36~38㌻より抜粋
いろいろ突っ込みたいのは置いといて、崎間先生の主張には一理あります。だがしかし “おぎやか” の語義を母親と仮定した場合、
王の神号に「お母さん思い」と名付けるほど、尚真王は神認定のマザコン
となり、つまり彼は徳川綱吉(江戸幕府五代将軍)に匹敵するマザコン為政者という超解釈が成り立ちます。
ちなみにブログ主は鳥越憲三郎先生の解釈を全面的に支持しており、先生は “おぎやか” に “御近” の漢字を当てはめて、その意味は「神の血縁者」であると主張しております。確かにおもろそうしには神の血縁者を示す語句が多数あり、たとえばてたこ(てだ子)、しひつき(末続)、ゑそにやすへ(恵祖根屋末)といった「神の血筋を引く」意味をもつ言葉と “おぎやか(御近)” は同じ意味で使用されているのです。
おぎやかを神の血縁者とすれば、 “おぎやかもい” は「神の血筋を引くお方」の意味になり、15世紀までの神号にふさわしい言葉と言えます。少なくとも「お母さん思い」よりはすっきりした解釈になることがお分かりでしょう。そしてここで
りうきう・おきなわの歴史上で童名(わらびなー)に “おぎやか(神の血縁者)” と名乗った人物はたった一人しかいない
という新たな疑問が湧いてきます。次回はこの点について言及します(続く)。
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