ユタとりうきう その2

前回はユタとりうきうと題してブログ主なりにユタについて言及しました。既出ですが我が琉球・沖縄の歴史においてユタの存在を歴史的に解明し、その解決策を明示したのは伊波普猷先生が最初です。

大正2年(1913)3月11日から琉球新報に掲載された「ユタの歴史的研究」の〆の部分で、伊波先生はユタ対策について以下のように言及されております。

世に宗教のあるのは事実であります。宗教のない国民といってはないはずであります。宗教は人類の生活を統一するに必要なるものであります。しかしながら、世には宗教の必要を認めない人もたくさんあります。経済の必要、政治の必要、学術の必要を認めないものはないが宗教となるとその必要を認める者はいたって少ないようであります。これらの人々は宗教は愚民を導くに有用である、婦女子と子供とを教えるに便利である、しかし智者には必要はないと申します。

ところが人類はすべてその心の深きところにおいて神仏を慕いつつある者である。ある人はただ我慢してこの切なる要求を外に発せざるまでであります。今度那覇の火災〔大正2年2月11日〕によって暴露されたところの沖縄婦人の迷信は、やがて人間に宗教心の存在することを証明するものであります。私どもは「存在の理由」を軽々しく看みてはなりません。子供を有もっていない婦人が人形を弄もてあそぶことがありますが、たとえて言えば、子供を愛する心は信仰で人形を愛する心は迷信であります。ただ人形を棄すてろ迷信を棄てろと叫ぶのは残酷であります。私どもは人形や迷信に代るべき子供と信仰とを与えなければなりません。

つまり伊波先生はユタ信仰という迷信を克服するには、べつの「何か」を与えるべきであり、その手段として科学思想の鼓吹と宗教教育の鼓舞を主張しています。ブログ主が感心したのは、伊波先生が科学思想だけでなく宗教教育についても言及したことです。

実は大日本帝国の時代の教育は一種の宗教教育なのです。具体的には “教育勅語” の唱和に代表されるように天皇の権威を生徒に叩き込んで日本臣民を育成することが最大目的であり、言い換えると政府が全国民に天皇教を布教しているようなものです。

我が沖縄の場合は、明治に入ってから学校で “天皇の権威” が徹底的に教え込まれます。しかも当時の大日本帝国は日清・日露戦争の勝利という実績が伴っていますので、天皇教の布教は極めて順調に進んだのです。そうなると新たな権威に服する沖縄県人が増加するわけであり、その結果として相対的にユタの権威は低下せざるを得なくなります。

上記の伊波先生の論文からの引用は宗教を権威に置き換えるとすごく分かりやすいです。そう、ユタ依存の克服には

新たな権威に服する

ことが一番手っ取りばやいのです。たとえば

キリスト教か創価学会へ入信するとユタ依存は速攻で完治します。

その証拠として、伊波普猷先生も、『なぜユタを信じるのか〈その実証的研究〉』の著者である友寄隆静さんもクリスチャンです。実際に友寄隆静さんの著書内にもキリスト教や仏教に入信することでユタ社会を去った実例が記載されています。

ほかにも戦前の知識人を例にあげると、太田朝敷先生は浄土真宗の熱心な信者でした(真教寺の信徒総代を務めていたレベル)。だから先生の著作にはユタムニー的な表現は一切ありません。

意外かもしれませんが、我が沖縄社会においてユタ社会が再興したのはアメリカ世時代からです。そして現代にいたるまで民間においてユタはしぶとく生き残っていますが、次回はその点について言及します。(続く)