ネトウヨという言葉があります。ご存じのとおりネット右翼の略語ですが、Wikipedia などを閲覧しても定義がいまいちピンとこないブログ主は、今回調子に乗ってネトウヨの定義づけを試みました。
ネトウヨの定義づけが難しいのは、各人がおのおのの価値観で定義しても、それが結果的に汎用性を持たない状態になっているからです。そこで今回はネトウヨの対義語は何かを考えて、そこから定義づけを行ないます。
ならばネトウヨの対義語は何かと問われると、案外即答できる人はいないかと思われますが、ブログ主は “市民” と考えています。理由はSNS上でネトウヨを連呼する人達の言動からどうやら市民の対義語として使っている節が多々見受けられるからです。
そうすると市民の定義が重要になりますが、デジタル大辞泉によると
- 市の住民。または、都市の住民
- ≪Citizen(シチズン)≫ 近代社会を構成する自立的個人で、政治参加の主体となる者。公民
- ≪Bourgeois≫ ブルジョアのこと。
とあり、明らかにシチズンの意味をもつ市民がネトウヨの対義語になります。もう少し具体的に説明すると
近代社会を構成する自立的個人で、社会の矛盾に対して積極的に政治活動を行う者
になり、沖縄二紙など既存マスコミでは明らかにこのような意味で市民のワードを用いています。
さらに “社会の矛盾” とはなにかを深掘りしていくと、一例として貧困や差別など健全な社会生活を営む上で障害になる様々な問題になりましょうか。つまり市民とは社会の公正を目ざして積極的・自主的に活動する個人の位置づけであり、それに対してネトウヨは社会の矛盾に目を向けることなくネット上で不満をぶちまける個人、しかも市民活動に対して敵意を燃やしている無名の存在であり、善(市民)と悪(ネトウヨ)の構図でネトウヨを連呼しているケースが現状ではないかとブログ主は考えています。
ただし現在の市民活動家すべてが上記のような健全な存在かと問われると、イエスと即答できる人はいないかと思われます。無論真面目なお方もいますが、目的と手段が倒錯した残念な人達が一部存在している件は否定できません。具体的には、
問題の解決には無関心で、市民活動それ自体が目的になっているケース
があまりにも多く見受けられるのです。その代表例が福島瑞穂さん(社会民主党党首)です。そしてそのような連中が己を批判する者に対して “ネトウヨ” のレッテルを貼り付けるのです。
これはブログ主の独断ですが、目的と手段を倒錯した輩は他者の批判を極端に嫌います。しかも市民活動によって名声を獲得した連中ほど、他者の意見を全く聞きません。名誉が傷つけられたと勝手に思い込み、果ては憎悪と敵意をむき出しにするケースすらあります。そのような滑稽極まりない連中に対してネット上で嘲笑を浴びせるのが現存する “ネトウヨ” の本質であり、つまり市民活動家の堕落が彼らの存在を生み出したと言っても過言ではありません。
すこし話が長くなりましたが、ブログ主が定義するネトウヨとは
目的と手段を混同した残念な(自称)市民をネット上で痛烈に批判する無名の個人
がであり、むしろ日本社会が健全な証なのです。だからネトウヨのレッテルを貼られても落ち込む必要はありません。そのようなレッテルを貼る輩は総じて “残念な人” なので華麗にスルー推奨で今回の記事を終えます。
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