二代目旭琉会会長が短銃2発で射殺され、警察は十時間後に犯人2人を逮捕。そして3日後の総長会では「これ以上の内部抗争はしない」という和解が成立した – 。事の重大さに比べて表面上は不気味なほど穏やかだ。最初からこの事件を画策した “筋書き” があったのか。
殺された多和田会長・49歳。そのほか照屋正吉副会長・50歳。座安久市副会長・48歳。仲程光男本部長・43歳。そして旭琉会幹部でナンバー2といわれ、今度の射殺事件の組員の総長でもあった富永清理事長・36歳。この図式を見て県警の捜査員の中には「旭琉会内の戦後派世代の台頭」と表現する人もいる。戦後のヤミ市を闊歩(かっぽ)していたアシバー(遊び人)たちの集まりが、沖縄の組織暴力団の草分けといわれ、沖縄ヤクザ史は即沖縄戦後史でもあると表現されるゆえんだ。
暴力団排除運動が奏功 / 絶えず監視の目を
過去の内部抗争、昭和49年から52年にかけての上原組対旭琉会抗争と今度の内部抗争を比較してみるとその違いがはっきりする。上原組は旭琉会に反旗を翻して対抗、抗争で徹底的な打撃を受け、現在ほとんど壊滅状態にある。この抗争では上原組に勢力の読みの甘さがあった。しかし今度の抗争では、まだ具体的な動機が明らかにあれていないが、過去の抗争と違う要素がある。
12日の旭琉会14一家総長会では、多和田会長を射殺した犯人2人の所属する富永一家の総長は、理事長の役職はく奪、1年間の謹慎という処分を受けた。射殺犯2人が「多和田会長のワンマンぶりに腹が立った」と殺害の理由を話しているというが、この2人の理由は他の一家でも持ち上がっていたようだ。月30万円の上納金に加え、本土暴力団の接待の度に各一家割り当ての金を要求する会長に締め上げられていたというのが実情のようだ。
上納金制度や島割り制度の導入の動きに対し、県内の娯楽業界や飲食店業界では暴力団排除運動の機運が高まった。その機運の盛り上がりで暴力団の縄張り料要求には応じないということを確認し合っている。暴力団の資金源となる縄張り料の拒否と、上部組織からの上納金催促。暴力団内部の不満は序々に高まっていた – 。と捜査員は見る。
縄張り料の対象とされる娯楽業界や飲食店業界の暴力団排除運動が功を奏したとはいえ、依然として暴力団ははびこっている。「これ以上の内部抗争はしない」ことを取り決めた一家総長会の “和解” は多和田会長を支持する主流派とそれに対立する反主流派の力のバランスが考慮された結論といえる。しかし、しょせん暴力団は暴力団。いつ、どのような形で二次抗争が突発するか分からない。今度の事件が綿密な計算の上で実行されていたのならば、また新たに綿密な計算をする者がいないとも限らない。(おわり)(昭和57年10月15日付琉球新報15面)
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