前回の記事 “圧倒的ナンバー1の無能感” の予想の斜め上を行く反響にちょっとびっくりのブログ主ですが、今回は調子に乗って“無能感”というパワーワードについて言及します。
すでにお気づきかと思われますが “無能” と “無能感” は全く別の概念です。無能は文字通り「能力・才能がないこと」ですが、無能感は玉城知事を例にとると、
玉城知事は無能だと誰かが思っている
との心理状態と定義できます。つまり “だれかがそう思っている” という思い込みですが、実はこの〇〇感は社会にとって極めて厄介な代物なのです。
この〇〇感は応用範囲も広く、たとえば前年の米大統領選挙におけるジョーバイデン候補陣営による “不正感” や琉球・沖縄の歴史認識における “被差別感” などがあります。問題はこの “だれかがそう思っている感” はネット時代の今日ではものすごいスピードで社会に拡散・まん延していまうことです。“主観の一人歩き” と言い換えることができますが、いったんまん延してしまうと社会全体に対して強烈な “同調圧力(空気の支配)” を発揮してしまうのです。これが〇〇感が社会に及ぼす真の恐ろしさです。
我が沖縄県内にまん延する玉城知事に対する無能感は、前回の記事でも言及した通り、玉城県政による新型コロナウィルス対策に対する不満がベースにあります。ただしコロナ禍は沖縄県政だけが振り回されているわけではなく、政府や各都道府県も対応に苦慮している現状があります。朝令暮改式で対応せざるを得ない状態が続いているため、社会全体に不満感、無力感、そして為政者に対する無能感が醸成されるのは極めて当然の出来事ですが、ブログ主が知る限り、
既に社会にまん延した “無能感” を己の失態で “熟成” させた県知事は玉城デニー氏ただ一人です。
社会に “無能感” を醸成させた政治家として真っ先に思いつくのが第三代琉球政府主席に就任した大田政作氏です。彼の場合は主席在任中にポール・ワイアット・キャラウェイという “己の部下絶対殺す上司” が米国民政府の高等弁務官に就任(1962年2月16日~1964年7月31日)という不幸が無能感醸成の最大原因となります。最終的にこの無能感のまん延が大田氏の所属する保守党の分裂騒動を引き起こし、キャラウェイ高等弁務官が騒動の責任の一端を認める異例の事態にまで発展します。
ただし大田氏は自らの失態で無能感を熟成させることはありませんでした。彼は政党の運営を改革し、西銘順治氏や小渡三郎氏を青年部に抜擢するなど先見の明ある政治家の一面もあったのです。彼が無能の烙印を押された最大の理由は、彼がキャラウェイ高等弁務官に対して全くの無力であり、その結果米国民政府と琉球政府の力の差を世間に見せつけた責任を負う羽目になったからです。
大田主席の場合はキャラウェイ高等弁務官の存在が無能感を引き起こす理由になりましたが、菅首相をはじめ日本政府の首脳たちはキャラウェイ氏のような独善的な方針で我が沖縄に対してコロナ対策を押し付けてきたわけではありません。他府県と同じく沖縄県庁と中央との間で話し合いながら慎重に政策を進めてきたことは疑いの余地はありません。にもかかわらず玉城知事だけが全都道府県知事の中で圧倒的無能感を醸し出しているのは
己の失態で自分自身にトドメを刺す醜態を全国民に見せつけたからです。
ブログ主は、新型コロナウィルス禍に玉城デニー氏という人物が沖縄県知事を務めていた事実は “永遠に語り継ぐべき歴史的不幸” だと確信して今回の記事を終えます。