ここ数日SNS上で “腐れナイチャー” という不穏なパワーワードが散見されます。”ナイチャーは嘘つき” とのどぎつい表現も見受けられ、どこまで本気の言動なのか測り難いのですが、今回はナイチャーという表現とヘイトスピーチついてブログ主の見解を纏めてみました。
参考までに我が沖縄の一部では “ヤンキー・ゴーホーム” はヘイトスピーチに当たらないと主張する輩がいます。米軍基地反対運動を意味する表現なので無問題との見解ですが、なぜそのような発想になったかの歴史的経緯について説明します。
当ブログにおいて何度も強調していますが、我が沖縄の歴史において政治制度上で平等の概念が導入されたのは、大正10年(1921)に町村制が施行されてから敗戦の昭和20年(1945)の24年と、本土復帰(昭和47年)から令和3年の今日にいたる49年の、計73年しかありません。
つまり平等の観念は近代になって日本からもたらされた新思想であることと、アメリカ世の27年間の断絶が沖縄社会において平等の観念に対する世代間の認識の相違を生み出してしまいます。
参考までに、昭和27年(1952)4月に琉球政府が誕生後の、米国・日本・および琉球諸島の政府との関係を図解しました。
アメリカ世時代は政府が2つあることの弊害に苦しんだ時代でもありますが、その置き土産のひとつが
虐げられる者(琉球住民)が虐げる者(米国民政府)に対しての言動はヘイトに当たらない
との発想です。アメリカ世時代に生まれ、復帰前後は若者として沖縄社会の激動を経験した世代(大雑把にみて70代以降)に根強い考え方ですが、この思想が現代社会でも一定の影響力を行使しているのです。
つまりアメリカ世時代に制度上の不平等を経験した世代は、現代社会においても支配(米国・日本)→被支配(沖縄)のイメージから抜け出せないのです。しかも在沖米軍基地の存在や米軍人・軍属の事件が彼らの “不平等感” に拍車をかけるため、どうしても現代社会も昔と同じであるとの観念が支配的になります。
ここまでの説明で “ヤンキー・ゴーホーム” がヘイトスピーチではないとの見解にいたる歴史的経緯は理解していただけたかと思いますが、実はナイチャーという表現もその範疇に入ります。現代では他府県出身者に対する卑称として殆ど使われなくなりましたが、差別されてきた我々沖縄県民が本土出身者に対してナイチャーと呼んで何が悪いと内心思っている人達は多いはずです。これは断言できます。
ただし令和の今日では残念ながらアメリカ世時代の発想がそのまま通じるほど甘くはないのです。ヤンキー・ゴーホームもナイチャーも現代では立派な “ヘイトスピーチ” で公序良俗に反する表現と看做されます。復帰後に生まれた世代が人口の大半を占める令和の沖縄社会ではこの手の表現に対して厳しい態度を取る人たちが増えていくこと間違いありません。そして
“不平等”と “不平等感” は違う
との認識が社会の主流になったときに初めて “ヘイトスピーチ条例” は真価を発揮するとブログ主は考えていますが、残念ながら現状ではアメリカ世時代の観念にどっぷり浸かった状態で差別撤廃を訴える傾向があります。いわば自らを被差別者に設定し、その立場から「なにがヘイトか反ヘイトか」を判断しているわけですが、そんな有様では反差別主義者たちが令和の時代を生き残るのは極めて厳しいと判断せざるを得ないブログ主であります。