りうきう病のサンプル – 人類館事件その1

去年の同時期(令和2年5月7日)に “りうきう病” の考察と題したコラムを掲載したところ、ブログ主の予想の斜め上を行く反響がありました。今回はその実例として、明治36年(1903)4月7日付琉球新報の報道によって大騒ぎになった “人類館事件” を取り上げます。

ちなみに “りうきう病” をこじらせると “「民族差別を証明するための学問」 として琉球・沖縄史が脳内で構築され、もはや治療不可能なレベルの劣等感の塊になってしまうのです” と当ブログで断言しましたが、人類館事件はその格好のサンプルでもあります。そしてこの事件を “差別案件” としてのみ言及する輩は重度のりうきう病患者の疑い” があります。

そのまえに、昭和58年(1983)年5月7日付琉球新報夕刊に同事件に関する興味深い記事が掲載されていましたので全文を書き写しました。読者のみなさん、是非ご参照下さい。

これが「人類館事件」の写真

大阪で見つかる / 京都の古書店主 / 琉装姿で貴重な姿

【関西】明治36年(1903)に大阪で開かれた勧業博覧会の際、場外で2人の沖縄女性が金もうけのため陳列され、見せ物にされたという、いわゆる「人類館事件」の 陳列されたと思われる人たちが映っている古い写真が、このほど大阪で発見され話題になっている。

人類館事件は、日本近・現代の象徴的な差別事件のひとつとして研究も多く、また劇団「創造」がそれを題材に「人類館」として舞台に乗せ、新たな反響を呼んだこともあるが、これに関係すると思われる写真が見つかったのはこれが初めて。

写真を発見したのは、京都市在住の古書店経営、伊藤勝一さん(39)。書店のかたわら古い歴史資料や古物の収集をしているが、写真はさる4月4日に大阪の旧家から古道具展に出された雑多な品物に混じって当時開催された「第五回内国勧業博覧会見物案内図」と一緒に見つかった。沖縄関係の資料収集に力を入れている伊藤さんが人類館事件に関係するものと直感したもの。

発見された写真には、前座左側に2人の琉装した沖縄女性(上原ウシ、中村カメ)が座っている。台紙裏には「朝鮮人1人、アイヌ3人、琉球人2人」の説明が記されており、子供も含めて総勢19人が写っている。「人類館」にはこれまで中国人は含まれていないとされていたが、この写真説明には「支那人1人」も記されており、事実関係の解明に貴重な資料となりそう。

伊藤さんは「博覧会の前に集められ、ブロマイド的に記念撮影されたものだろう」と話している。

「人類館事件」を調べたことのある大田良博さん(歴史研究家)は「写真はないものとされていた。偶然の発見とは言え貴重です。80年前の事実が写真で確証されたことになる」と話している。(昭和58年5月7日付琉球新報夕刊7面)

この記事内写真には「辻遊郭の娼妓でだまされて上阪した」との説明書きがありますが、実はこれホントの話で、そのいきさつは明治36年(1903)4月の琉球新報記事からも確認されます。それ故に当時の新聞史料をチェックした上で記事作成された件が伺えますが、参考までに沖縄女性の中村カメは、明治36年2月25日付琉球新報では仲村渠カメ(21)、明治36年5月19日付琉球新報では仲村カメと記載されています。(ブログ主は5月19日の記事は “渠” が脱落したと考えています)

実はこの事件の本質は “詐欺案件” であり、沖縄差別とは別次元の話なんですが、いつのまにか内地人による沖縄差別の一例として語り継がれるようになります。なぜそうなったかはいったん置いといて、次回は事件の経緯について言及します。(続く)