俺が調子に乗って沖縄市照屋と旧吉原地区の現在を紹介する記事 – その2

(続き)今回は旧美里村吉原特飲街(現在の沖縄市美里1丁目)の現在の様子を紹介します。平成31(2019)年1月2日に関連記事をアップしてから2年以上経過しますが、予想通り大きく変わったところはありませんでした。

ただし、意外にも新型コロナウィルス禍で現在営業している店が一目でわかるようになったのはちょっとした驚きでした。今回は、前回紹介できなかった場所も含めて、旧吉原地区の現状をアップします。ディープスポット好きな読者のみなさん、是非ご参照ください。

・マクドナルドコザ十字路店→喫茶パルプンテ(写真)→日本基督教団 コザ教会を抜けると格安の駐車場がありますが、2年前に訪れたときの料金は600円でした。この事実は旧吉原特飲街がいかに “衰退” したかを雄弁に物語っています。

・旧吉原地区へ入るルートは3つあり、そのうちの越来交番(美越通り)から入る道から進むと、地区の衰退を象徴する廃墟があります。

・吉原交差点から入るルートも撮影しました。

・近くにある階段を上った場所からの撮影です。たしかこの冷蔵庫は以前も同じ場所に放置されていた気がします。

・旧吉原地区の散策で一番困るのは、自治会や組合等の建物付近に “地図” が貼り付けされていないことです(写真は旧自治会の建物)

・吉原社交業組合は、アメリカ世時代に山原派と泡瀬派との対立激化で大変苦労した時期があります。昭和37(1962)年8月に喜屋武盛晃が同組合副会長を強迫した疑いで琉球警察に逮捕されたこともありました。

・2年前に訪れた際には工事中だった場所に、立派な公園が建設されていました。

・こういう施設を見ると、現在の美里1丁目は高齢者の街になっているんだなと実感します。

・以前訪れた際には建設中でしたが、立派な病院が完成していました。

・島尻あい子さんのポスターが複数貼り付けされています。

・なんか怖い……

・午前中の散策でしたので人通りはまばらでしたが、その代わりにいたるところで猫に遭遇しました。

・地区内で営業している店は一目でわかります。

・コロナ禍に関する張り紙がない建物はほぼ間違いなく営業していません。

“静かに滅びゆく” との表現がぴったりの旧吉原特飲街の現在です。

いかがでしょうか。もはや “歴史的廃墟” と言っても過言ではありませんが、このまま静かに滅びていくのもやむを得ないと痛感します。今回の散策でひとつだけ残念だったのは、昭和40(1965)年2月5日、喜屋武盛一(泡瀬派)が上原秀吉(山原派)ら複数人によってメッタ刺しにされた事件現場(当時は麦畑)を特定できなかったことです。この案件は今後の課題として、次回は同地区のグルメスポットを紹介します。(続く)