本日付沖縄タイムス22面に “スポーツ指導 / 私の提言” と題したコラムが掲載されていました。執筆者は新里紹也さん(元プロ野球選手)ですが、説得力が半端ない内容で、速攻で全文を書き写しました。
昭和から平成にかけての体育会系部活の “都市伝説” ならブログ主もいくつか聞いています。だがしかし、新里さんの短いコラムを読むと、
全盛期の沖縄水産ではいったいなにがあったんだ
と突っ込まざるをえません。とりあえず読者のみなさん本文をご参照ください。
スポーツ指導 / 私の提言 指導者は言葉を選んで
子どもを指導する上で、「できないから、子ども」ということを念頭に置いている。大人が経験したことを理解してもらえるまで根気強く説明するしかない。
自分が指導する数年間で「変えなきゃ」と急ぎすぎると、子どもの理解力、体力、精神力がついてこないことがある。思いが伝わらなくても、どんなに思い入れがあっても、人さまの子を預かっているということを忘れてはいけない。
多くの指導者は「勝つことで得るものがたくさんある」と胸を張って言う。でも勝つのは一部の限られたチームで、勝ち続けるのは大変なこと。多くの子どもにとっては、負けることで得るものがある指導の方がいいと思う。
負け続けて向上心がなくなるのは問題だが、勝利至上主義もいかがなものか。野球の練習試合でも、負けたくないからと固定したメンバーだけを出場させるチームも多いが、家族が応援に来ても出場させてもらえないことが、野球離れにつながっていると感じる。
僕が特定の選手をレベルアップさせたい時は、必ず保護者の前で本人に「だいぶうまくなってきたけど、もうワンランク上げてみるか?」と確認する。「バットを振る回数も多くなる。きつくて嫌になりそうなときには声を掛けてくれ」と約束している。
今では笑い話だが、沖縄水産高時代に1年生大会でコールド負けして、栽弘義監督に「おまえら、二度とユニホームを着るな」など嫌みばかり言われた。だがこれからの指導者は言葉を選ばないといけない。「そういうつもりじゃなかった」は通用しない。(令和03年2月22日付沖縄タイムス22面)
新里紹也さん – 元プロ野球選手
しんざと・しょうや 1972年、読谷村生まれ。沖水高3年の90年、内野手として全国高校野球選手権(甲子園)準優勝。沖縄電力を経て97年ダイエーに入団。近鉄に移籍後、2002年に引退。「沖縄ベースボールアカデミー89塾」を主宰し小中学生を指導している。