今回は沖縄ヤクザ関連の積み史料から、那覇派関連の記事を紹介します。昭和37(1962)年にはいり琉球警察は那覇派とコザ派が西原飛行場で対決するのではとの情報をつかみます。この案件はブログ主も初めて知りましたが、前年9月の西原飛行場でのリンチ事件によって那覇派とコザ派が険悪な状態になっていたことの傍証と言えます。
又吉世喜に関しては以前に当ブログで初登場と思われる沖縄タイムスの記事を紹介しましたが、”那覇派のボス” として世間に知られるようになったのは昭和37年1月以降の新聞報道からです。まずは同年17日の琉球新報夕刊3面の記事を紹介します。
暴力団の対決防ぐ
那覇署 / 情報つかみ非常警戒
16日夜、那覇市内でコザの暴力団と那覇の暴力団の大がかりな出入りがあるとの情報を那覇署がキャッチ、同署は全刑事を非常招集するとともに、警本の全パトロールカーの応援を得て、徹夜で警備に当たってこのヤクザの出入りをくい止めた。
那覇署のつかんだ情報では那覇市内の有力な暴力団が、コザ市内の同組織に勢力を奪われているのでそのアダ討ちのための果し合いで以前からくすぶりつづいているという。
このケンカは15日夜も西原飛行場で行われるとの情報で、警本機動隊も出動したが、この日も音沙汰なく、さらに16日はかなり悪化して激突寸前だといい、警察はかなり緊張して夜通し警備に当たった。この日はそれぞれ10人ぐらいが対決するのではないかと見られていた、またコザ署も全署員を非常招集、警戒に当たった。(昭和37年1月17日付琉球新報夕刊3面)
翌日の琉球新報夕刊3面で琉球警察による一斉検挙の記事が掲載され、西原飛行場の決闘未遂の経緯が明らかにされます。そしてブログ主の知るかぎり、この時初めて “又吉世喜” の名前が新聞紙上に登場します。
警本、暴力団一掃に乗り出す
寝込み襲い短刀押収 / コザ、那覇で一せい手入れ
最近コザと那覇の暴力団の不穏な動きを重視した警本は、那覇、コザ両署を動員して18日午前7時両方のボス宅の寝込みを襲い、凶器を押収した。この事件について幸地警本部長は「この際徹底的に暴力を一掃する」と声明を発表した。
那覇とコザの暴力団のバッコが目にあまるのできょう(18日)手入れした。この15日から那覇とコザの暴力団が対決して、猟銃や凶器などを持って西原飛行場で決闘するとの情報をつかみ警察も万全の警備をしいた。このような無法な暴力は絶対に見逃せず、警察は厳重に取り締まる方針で、きょう午前7時を期し、那覇とコザのボス宅の寝込みを襲って家宅捜さくを行ない、那覇から短刀2ふり、コザからサイ1ふりを押収、さらにコザでは住居侵入、器物破損で暴力団の1人を逮捕した。暴力団は徹底的に継続して取り締まる方針で、一般の警察への協力をお願いしたい。また被害者も暴力をおそれることなくどんな小さなことでも届け出て欲しい。お礼参りの被害は警察も万全を期して守るつもりです。暴力は根をおろさないうちに芽をつみとって根絶したい。声明発表後本部長は次のとおり記者団と一問一答した。
両暴力団の今後の処置は?
答え 凶器を持っていた者は銃砲刀剣類不当所持で調べ、さらに子どもたちの傷害、脅しなどの事実をつきとめ徹底的に検挙する。
ー 家宅捜索したのは誰の家か
答え 那覇のボスである市内壺屋町の又吉世喜(28)宅を襲い、寝ていた子分たちのドスを押収した。またコザではコザのボス、喜舎場と玉城ら3カ所を捜索してサイを押収した。コザでは傷害の疑いであと4~5人を逮捕する積りだ。
ー この出入りの原因は?
答え 情報によれば又吉がコザの勢力にくわれているうえ、コザの暴力団から子分が時にいためつけられているようで、その勢力ばん回の決闘申し込みだったらしい。15日午前零時を期し西原飛行場で立ち会うことになっていた。
ー この暴力団はどの様にして生計をたてているのか。
答え 十貫瀬、ハーバービュー、コザ吉原の特飲街、遊技場やバーなどの用心棒をして月ぎめの手当をもらってやっている。
ー この人たちが用心棒を雇わなければ暴力はなくなるのではないか
答え 雇わないといやがらせなどして営業妨害するようだ。警察にとどければお礼まいりで暴力をふるうといって泣き寝入りしている現状だ。暴力を一掃するためには一般の協力がなければだめだ。警察も被害者の身辺は十分まもる。(昭和37年1月18日付琉球新報夕刊3面)
同月22日の琉球新報夕刊3面によると “警本、暴力の巣を襲う” との物騒な見出しで一斉検挙の様子を報道していますが、その時に検挙された11人を列挙すると(経歴は公開された史料で確認した限り)
又吉世喜(28):那覇派→沖縄連合旭琉会理事長
大城善一(37)
島本正章(31):那覇派→普天間派
西江仁男(仁祐)(30):那覇派→沖縄連合旭琉会
玉城繁正(36)
瑞慶覧三郎(34)
玉城徳幸(41)
知念清正(25)
瀬長増吉(28):那覇派→沖縄連合旭琉会
又吉功栄(36):那覇派(又吉世喜の親戚)
田場盛孝(34):那覇派→普天間派
となります。この面々で一番興味深いのが “玉城繁正(繁政)” で、彼に関しては戦果アギャーの超大物として大島幸夫著「沖縄ヤクザ戦争」にわずかなスペースの記載があるのみです。彼が起こした事件について “裏” が取れないためこれまで言及していませんが、確認しだい当運営ブログにて紹介する予定です。
次回は多和田真山さん初登場の史料を紹介します。(続く)