平成28(2016)年5月にブログ運営を開始して以来、不定期ではありますが “琉球独立” に関する記事を複数発信してきました。改めて当時の記事を読んでみると言い尽くされてる感がありますが、独立論について最近気がついたことがありましたので記事にまとめてみました。
琉球独立の論理は ① 琉球民族の実在、② 琉球民族は慶長の役(1609年)以降差別され続けてきたとの前提から成り立っています。そして民族が抱える被差別意識を解消することが独立の最大目的になります。格調高く言えば「民族の栄光を取り戻す」になりましょうか。
だがしかし現実には独立論はさっぱり盛り上がりません。その理由は独立論の主導者たちの社会的信用があまりに低いことが挙げられますが、上記前提が沖縄県民に広く受け入れられていないことも一因です。それと独立論に関して一般の沖縄県民がどうしても受け入れることができない他の前提があります。それは
中国大陸の政権が独立した琉球に対して好意的である
という思い込みです。実はこの前提は民族の実在と被差別意識を前提として琉球・沖縄史を読むと自然に誘導されます。すなわち1392年に察度が中国大陸の政権と外交関係を結んで以来中国側は琉球に対して好意的だった、そして
中国が琉球を攻めてきたことは一度もない
という解釈に導かれてしまうのです。この解釈は昭和24(1949)年の中国革命以前はたしかにそのとおりで、「中国は琉球に対して良くしてくれた」と思っている県民は少なからずいるかと思われます。ただしそれはあくまで昭和24年までの話で現在の沖縄は東アジア冷戦の前線です。武力行使こそありませんが、お互いに体制転覆をめざして水面下でバチバチやりあっている最中なのです。
現在のアメリカ軍基地だってここまで超絶強化されたのは中国革命と朝鮮戦争の結果です。「これ以上戦争に巻き込まれたくない」は沖縄の平和主義者の合言葉ですが、東西冷戦に関しては向こうから仕掛けてきたのです。そして東アジアに関してはまだ冷戦が終っていないのです。
それと面白いことに、この設定は中国大陸側の都合を一切考慮していません。つまり独立したら向こう側は好意を持ってくれるだろうという一種の片思いなのです。たしかに琉球が独立したら “興味” を持つかもしれません。ただしそれは “好意” とは別です。そのあたりを全く考慮せずに過去に好意的に応対してくれたから、今度もそうだろうと思い込むのは極めて危険です。その危険性を考えていないのが独立論の大きな弱点なのです。
この前提は中国共産党から支援されている云々とは全く関係ありません。琉球独立論者たちが無意識の前提として勝手に設定しているだけの話です。むしろ中国大陸の政権にとっては迷惑な部類の話で、案外”余計なことをするな” が本音かもしれません。
だからこそ独立論者はこれまでの前提をすべて見直した上で、独立論を更新する作業に取り掛かるべきです。具体的には、
・民族の実在を抜きにして
・被差別意識の解消とは別に
・日米および中国大陸の政権を頼りにすることなく、
独立独歩の確固たる理論で沖縄県民の広い支持を得る努力が必要です。ただし(理論の)更新作業は伊波普猷先生あるいは東恩納寛惇先生クラスの才能が必須です。現在の独立芸人さんのレベルを考えると、悲しいことに理論のアップグレードは永遠に無理だとブログ主確信しているのです(終わり)。