取材努力

今月28日号の週刊文春に掲載された”黒川弘務東京高検検事長 ステイホーム週間中に記者宅で”3密”「接待賭けマージャン」”の報道に触発されたのかは不明ですが、24日付朝日新聞社所属記者のツイッター投稿が実に興味を引く内容でしたので全文書き写しました。

参考までに、この記事は5月1日に産経新聞A記者宅で、黒川氏を初め産経B記者と朝日の元検察担当記者のC氏が麻雀に興じていたという内容です。産経新聞広報部は、「取材に関することにはお答えしません」と暗に取材活動であったことを認めていますが、大手新聞社の取材努力とやらは世間一般の常識とはだいぶ異なることを改めて実感しました。前置きが長くなりましたが、三輪記者のツイッター全文をご参照ください。

三輪さち子(朝日新聞記者)

取材相手とつきあい、酒を飲み、長い時間を過ごし、信頼関係を築くことで、本音を引き出し、人柄、考え方を知る。権力の中枢で何が起きているのかを探る。政治記者のこうした努力を心から尊敬する。問題は、権力者が知られたくない事実を書くことよりも、「先に書く」ことが優先されていること。

布マスク配布を誰がなぜ決めたのか。なぜ30万円が10万円になったのか。中枢でどんな権力争いが起きているのか。これらを知るために政治記者が取材相手に肉薄する。大事なことは相手と一体化することじゃない。それを忘れた記者はいるかもしれないが、多くの政治記者は権力監視のために取材している。

どれだけ厳しいことを会見で聞こうが、記事を書こうが、取材相手との信頼関係は築ける。厳しいことを書くから付き合わないとか、付き合ってくれないから厳しいことを聞かないという関係は、信頼関係じゃない。理想論だと言われようがそれを信じなきゃやってられない。

あ、賭け麻雀は論外ですね。

取材相手に肉薄し、そこで得た情報を記事にすることでしか、読者からの信頼は得られない。私自身を含め、メディアにいる人間がこの点を反省し、出発しなければ、政治報道の不信はさらに深まるだけ。

このツイートの中で三輪記者は取材対象者との信頼関係を重視してることが読み取れます。こと細かに信頼関係とは何かを説明していますが、これはハッキリいって

営業マンの論理

そのものです。信頼関係とは、要は「お互いに不利益を蒙る事がない間柄」のことに他ならず、それがあって初めて(取材対象者との)ギブアントテイクが成り立ちます。まさに営利企業の発想そのもので、今回の黒川案件も三輪記者のツイッターも「権力の監視」という建前と、営利の本音の間で揺れ動く大手マスコミの実態を暴きだしたと看做しても誤りではありません。

既存マスコミの取材努力に関して、ブログ主が思い出すのが昭和53(1978)年11月3日付琉球新報朝刊の歴史的大スクープがあります。以下ご参照ください。

大浜氏、出馬を断念 西銘氏擁立決定

県知事候補者人選党本部が説得

知事選の人選で難航を続けていた自由民主党では二日深夜、党中央で大浜氏の出馬を断念するように説得が行なわれた結果、大浜氏もそれを了承。また、同氏の擁立を進めてきた国場派もやむなくそれを受け入れ、ほぼ大浜氏はこれで断念した。これにより西銘順治氏の立候補が決定的になり、知事選の候補者は革新陣営の出方待ちとなった、同日午後県連サイドから大田副会長、小渡幹事長らが空路上京し三日に党中央や五の日会と最終的なツメを行う予定だったが、今回の人選調整で西銘氏と大浜氏との対立が続いた場合、党県連の自滅につながると心配した党中央が国場代議士を説得「大浜氏はまだ党員でもないし、この際、西銘でいってはどうか」と国場氏の了解と協力を求めた結果、国場氏も「この際やむをえない」と了解し、大浜方栄氏と連絡をとった結果、大浜氏も「挙党体制がとれない以上やむをえない」と、これを受け入れ、出馬断念に踏み切ったもの。

引用:昭和53年11月3日付琉球新報朝刊1面

この記事の何がすごいかといえば2点あって、ブログ主が書き写した部分と、「自民党本部と県連、最終調整」の記事内容が全く違うのです。つまり「自民党本部と県連、最終調整」のほうが本来予定していた記事であり、後から「大浜氏出馬を断念」の記事を埋め込んだのです。

もうひとつは沖縄タイムスが自民党の動きを全く察知していなかったことです。実際に同日のタイムス記事は「自民党本部と県連、最終調整」の記事とほぼ同じ内容です。琉球新報社編『西銘順治日記 – 戦後政治を生きる』によると、11月2日午後11時ごろ、国場幸昌さんから西銘さんに「大浜擁立断念」の電話を入れます。そして翌日の朝刊が配達されますが、

琉球新報の記者はこの情報をどうやって入手したんですかね?

突っ込みはここまでにしておきます(終わり)。