今回から数回に渡って、大正6(1917)年9月9~10日に行われた琉球新報社主催「第二回県下野球大会」の試合報道を紹介します。
スポーツイベントに熱狂するのは古今東西を問わず我が沖縄も例外ではありませんが、それにしても当時の新聞報道を参照すると、
まぁ、ちょっとは落ち着けよ!
とブログ主は突っ込みたい気分になります。ちなみに民間で定期的にスポーツイベントを開催して、多くの観客が熱狂するなんて琉球王国および琉球藩の時代ではとても考えられないことであり、この事実は当時の沖縄県の経済が順調に成長していた傍証ともいえます。
大会日程は下図を参照ください。
時間は大まかに見て一試合あたり2時間程度を予定し、大会2日目(9月10日)は第一試合と第二試合のあとに、首里高等小学校生徒によるエキシビジョン(公開競技)が組まれています。あとコールド制度の採用(5回終了時点で10点差をつけた場合)、日没の場合は其時点で試合終了となること、ベンチ入りは最大12名(出場選手9名プラス補欠3名)などのルールで試合が行われています。
では大会一日目(開会式、商業対二中、中山対沖台の二試合)の様子をご参照ください。
◆數千の觀衆を熱狂せしめし◆ 壯絕なる第一日目の爭覇戰
▽渡久地本社々長の始球式 商業沖臺勝ち二中中山斃る▽
▲縣下の精銳 を網羅したる六チーム五十四名の剛健なる選手諸君が將に瀉原(かたばる)原頭に電光石火の快技を爭ふべき本社主催第二回縣下優勝野球大會第一日は遂に來れり、此日前日來の暴風豪雨も拭ふが如く、大空高く晴れ、秋風淸く眞に絕好の
▲琉球日和な り午前九時と云ふに瀉原塲の準備全く成り同十時頃には塲内の左右は縣下各中等學校生徒、首里那覇兩區の小學生及び一般の觀衆を以て滿され、瀉原を横断せる縣道には早くも
▲數千の人山 を築き目は次第に輝き出し、來賓諸氏並びに觀衆一刻増加して一味の凄氣塵をも止めぬグラウンドに流れて今や開會を待つばかりなり(正午十二時)
この無駄に高揚感を煽る表現力がなんともいえません。開会式の様子は下記参照ください。
▼優勝旗返納式 ▽雄姿を並べて選手入塲▽
午後一時と云ふに目は益々輝やき潮風面を拂ひてこゝに開會合圖の振鈴は響き渡り幾千
▲觀衆の拍手 に迎へられて、雪の如きユニホームに各組其陣容を整のへ紫の色香ふ金絲燦然たる大會優勝旗を翳せる一中を先頭に意氣天を衝くの槪ある各選手は其の雄姿を塲内に現はしやがて本壘前
▲列を正して 並び、此處に榮譽ある優勝旗は一中より渡久地本社長の手に返還し更に本社員の手に依りて來賓席前に保管され、續いて渡久地社長は本壘上に立ちて開會の辭を述べ一時十五分式を了へたり
そして始球式の様子は以下参照。
▼始球式 – 試合開始 ▽觀衆の湧くが如き拍手▽
優勝旗の返還式を了るや直ちに始球式に移りたるが大會劈頭の顏合せは
▲二中對商業 にして開戰前両軍交々練習をなし、それを終りて先攻二中の第一打手古波藏打手圏に立てば、商業の捕手比嘉其の位置につき、岩井審判の開始の一聲と共に
▲淸淨雪の如 き處女球は本社渡久地政瑚氏の手に依りて投ぜられ、打者勇ましく鐵棍を揮ひ、此處に縣下優勝大會劈頭第一戰の火蓋は切られたり。此の時觀衆の拍手は一時に湧きて暫しは鳴り止まんともせず、壯觀云ふべからず
▲あはれ見よ 精銳猛虎の如き若き健兒等の必勝を期せるが如き面魂を……榮譽に燦として輝く優勝旗は果して誰が頭上を飾るべき!熱球猛打の音は潑溂たる幾千の心臓(ハート)に鳴り響き、場内の活氣躍り狂ふに似たり、振へ!振へ!健兒の群よ(午後一時)
ここまで読むと、担当記者が自己陶酔しながら記事を作成する様子すら想像できます。応援団に関する記事もありましたのでご参照ください。
▼應援隊の熱狂振り
▽規律正しき商校の應援隊 ▽茶目式を發揮せる沖台團
始球式より愈々實戰に入るや、本壘と第一壘の中間に陣取つた商校全生徒より成る應援隊は一樣に白の上衣に黑のズボンと云ふ服裝にて手に赤き小旗を振り〃熱狂のあまり
▲胸も裂けよ とばかりに大聲を絞り出して帶劔、下駄履きと云ふ隊長の指揮に随がひ、調子勇ましく應援歌を高唱しつゝ選手を激勵し同校卒業生も參集して盛んに聲援しる樣、滿塲の觀衆爲めに
▲血湧き肉躍 るの感を起し塲内はいやが上に緊張の度を高めたり、而して午後三時沖台製糖會社よりも數十の應援團大いたる社旗を翻がへしつゝ赤や靑の萬國旗を手にして入塲し定めの席に着きたるが
▲沖臺對中山 軍の試合となるや子供の如く熱狂し同社選手と相呼び相應じて志氣の鼓舞に努め、大に茶目式を發揮せり
記事内容に”盛っている感”はありますが、応援団のノリは現代の高校野球と変わらないですね。当然試合についても記載がありましたが、現代目線でみると実にじわじわくる内容でしたので、次回にブログ主の解説付きで紹介します(続く)。