今回は昭和に限定して、本土と沖縄の暴力団組織の違いについて言及します。本土のヤクザ映画などの主要なテーマのひとつに”兄弟間の相克”がありますが、実は沖縄ヤクザをモデルにすると兄弟対立を主とした物語を描くことができません。なぜそうなるのかをブログ主なりに説明しますので読者のみなさん是非ご参照ください。
機能集団の要請と共同体的な絆との対立
Vシネマなどの日本ヤクザ映画を参照すると、兄弟間の対立が主要なテーマで物語が作成されるケースが散見されます。その内容は大雑把に説明すると、本来ヤクザは”機能集団”として存在していますがもしも組織の要請と個人的な絆(兄弟関係など)が対立したら当事者はどのようにふるまうのか?という流れで、その間の彼等の葛藤を描くところに物語の面白味があります。
ではなぜそのようなことが起こるのでしょうか。それは日本のヤクザ組織が”機能集団”として存在しているにも関らず、組織運営に共同体的なものを取り入れてるからです。具体的には盃事などの擬制の血縁関係を導入することで、組織内の結束強化という利点を最大限に生かす組織運営が行われています。
この方法の欠点は、本来は機能集団であるはずのヤクザ組織が著しく共同体化してしまうことです。つまり組織の要請と親子あるいは兄弟の絆などの共同体的な関係が対立した場合、組織全体をゆるがす大騒動に発展する恐れがあるのです。村上和彦原作『首領への道』に描かれている桜井鉄太郎と金沢慎市との対立がまさにそれで、最終的には共同体的な人間関係が破綻します。そうしないと組織運営が修復不可能なレベルに陥ってしまうからです。
沖縄ヤクザの組織運営のモデルは”模合”
ここまでざっと本土のヤクザ組織について説明しましたが、では我が沖縄の場合はどうかというと、実は組織運営に本土流の疑似的な血縁関係が持ち込まれたのは平成になってからです。それまでは誤解を恐れずにいうと、沖縄のヤクザ組織は”模合”のイメージで運営されていたのです。
我が沖縄の歴史において、明治以前には民間に”結社の概念”が見当たりません。結社とは特定目的を達成するために組織された集団のことですが、王族は例外として士族や地人(百姓)などの民間に結社のセンスを見つけることができないのです。
唯一の例外が相互扶助を目的として結成された”模合”で、琉球王国時代は金銭に限らず家模合とか茅模合など複数多岐にわたって存在していたことが確認されています。ブログ主は沖縄県人の結社のセンスは模合をイメージして習得したのではと考えていますが、この点はまた後日言及したいと思います。
少し話がそれましたが、アメリカ世時代に誕生した”暴力団”は現在のような機能集団ではありません。先輩後輩あるいは気の合う仲間たちが集った”シンカ(派閥)”が好き勝手に行動していたのが実情です。かつて又吉世喜が裁判で「那覇派、コザ派とは世間が勝手につけた名称であって、わたしたちは気の合った仲間たちと行動しているだけだ」と証言しましたが、まさにその通りなのです。
だから抗争も派閥内あるいは敵対派閥の人間関係のもつれが中心になります。この点が日本ヤクザとの大きな違いであり、いわば当時の沖縄のヤクザ組織に結社のセンスが欠けていた傍証と言えるのではと考えてます。
最後に沖縄ヤクザ組織の欠点について言及しますが、もともと模合的な共同体もどきからスタートしたため、機能集団に変貌する際に大抗争が起きてしまったことです。最終的に疑似的な家族制度を導入することで本土流の組織”旭琉會”に一本化しますが、それまでは試行錯誤の連続でその過程で死傷者がでています。共同体が機能集団へ転換することが如何に難しいかの好例ではないかとブログ主は思いつつ、今回の記事を終えます。