芋の葉露(田舎生活)- その1

(壱)三百年来人の生血を見たることなき人民に曾て戦乱抔(など)の恐るべきを知らず恐るべきものはただ飢饉のみ。或(ある)老農畑の側なる小松原に腰をかけ煙草を吹かしつつ余に語りて曰く、手前共に米も二十俵位は作り砂糖も十四五挺は作り、その他麦も豆も少しづつ作り候へども、一番大切のものは其処一面に蔓これる芋にて候。

米や砂糖抔の不作は身上に随分こたへ候へども日々の暮しには左程響き不申(もうさず)候、乍去(さりながら)芋が不作ときては身代もひき汐(=引潮)の様にへる心地致し候。田舎では芋さへ豊作なれば飢饉と云ふ恐ろしき悪魔におそはるる気遣いは無之(これなき)候。本年(旧で云ふ)は夏の頃は旱魃(かんばつ)勝ちにて葉ぶりも如何と案じ居候処、兎に角月々の植こみは後れずその後の生長も例年に劣らずあれ。御覧候へ、あの一しきりは六月植これが七月植に候へども、何れも葉ぶり青々として朝露をうけたる景色は吾々には何よりの詠(なが)めにて候。余はこれを聴て

雨風の時をたがはぬ大御代の

恵もしるき芋の葉の露

と口吟みぬ。されどまだ老翁の言葉をば全く信ぜざりしが、行々生活の実況を見るに及びて初めて田舎の休戚(きゅうせき=悲喜)が多く芋の蔓にかかり、その茅屋が多く芋の葉露に潤さるるを信ず。これ芋の葉露の題下に於て田舎の生活情況を披露せんとする所以なり。

社会の程度を見るにはその生活の情況を観察すること最も捷径(しょうけい=近道)なり。生活は資力の権衡(はかり)にして又知識の尺度なり。世に吝嗇家なるものあり、松の葉も割つて焼くほどにてそのしわざ加減は当人の想像にも及ばぬ位ひなれども、斯る吝嗇家でも何処やらにその資力相応な所あり、又何処やらにその知識相応に趣味ある生活の部分あるものなり。社会の進歩と云ふもつまり生活の進歩を意味するに過ぎず、左れば生活の情況は経世家の大に注目すべき事柄なるに、官民共に種々の視察をなせども未だ曾て深く生活に立入りたるものあるを聞かざるは余が怪む所なり。

都会の生活は誠に複雑にして叙述し難けれども我輩が日常親しく見聞する所なれば耳目に馴れて却つて奇趣妙致なし。田舎の生活は誠に単純なれども叙し去り叙し来らば趣味実に深かるべし。詩人の吟詠田家の趣致を歌ふもの多し。然れど余が茲に記述せんと欲するものは徒らに閑文字(かんもじ=無意味な文章)を弄して以て田舎の幽懐を叙せんとするにあらず。期する所は田舎生活の実況を写すにあり。

本県の農家は三千万斤の砂糖を産し、三万石の米を生じ、その他麦粟豆の如きも各一万石を下らず。然れども是れ多くは都人の生活に供するのみ。詩人歌つて曰く昨日到城郭、帰来漢(=涙)満申、偏身綺羅者、不是養蚕人と。田舎の生活を一瞥して先づ起る所のものは実にこの感なり。余が実際に踏査したるはその区域より云へば那覇の近在より遠く国頭に及ぶ然れども、仔細に調査したるは中頭の某間切内の一二ヶ村なり。併し田舎の生活は那覇の近在も国頭郡も大した相違なし。故に何れなりとも一二ヶ村の情況を審かにすれば他は類推するも決して大差なきを信ず。ただその異なる所は婚礼又は葬式等の習慣に過ぎざるものと知るべし。

次回より家屋の構造より、衣食飲食、平素の嗜好、物観遊散に至るまで序を逐ふて記述すべし。(明治34年1月11日付琉球新報3面)

【原文】

三百年來の生血を見たることなき人民に曾て戰乱抔の恐るべきを知らず恐るべきものはたゞ飢饉のみ或老〔農〕畑の側なる小松原に腰をかけ煙草を吹かしつヽ余に語りて曰く〔手〕前共に米も二十俵位は作り砂糖も十四五挺は作りその他麥も豆も少しつヽ作り候へども一番大切のものは其處一面に蔓これる芋にて候米や砂糖抔の不作は身上には随分こたへ候へども日々の暮しには左程響き不申候乍〔去〕芋が不作ときては身代もひき汐の樣にへる心地致し候田舎では芋さへ豊作なれば飢饉と云ふ恐ろしき悪魔におそはるヽ氣遣ひは無之候本年(舊で云ふ)は夏の頃は旱魃勝にて葉ぶりも如何と案じ居候處兎に角月々の植こみは〔後〕れずその後の生長も例年に劣らずあれ御覧候へあの一しきりは六月植これが七月植へに候へども何れも葉ぶり靑々として朝露をうけたる景色は吾々には何よりの詠めにて候余はこれを聽て

雨風の時をたかはぬ大御代の

惠をしるき芋の葉の露

と口吟みぬされどまだ老爺の言葉をば全くは信せざりが行々生活の實况を見るに及びて初めて田舎の休戚が多く芋の蔓にかゝりその茅屋が多く芋の葉露で潤さるゝと信ずこれ芋の葉露の題下に於て田舎の生活情况を披露せんとする所以なり

社會の程度を見るにはその生活の情况を觀察すること最も捷徑なり生活の實力は權衡にして又知識の尺度なり世に吝嗇家なるものあり松の葉も割つて燒くほどにてそのしわざ加減は常人の想像にも及ばぬ位なれども斯る吝嗇家でも何處やらにその實力相應な所あり又何處やらにその知識相應に趣味ある生活の部分あるものなり社會の進歩と云ふもつまり生活の進歩を意味するに過ぎず左れは生活の情况を經世家の大に注目すべき事柄なるに官民共に種々の視察をなせども未曾て深く生活に立入りたるものあるを聞かざるは余が怪む所なり

都會の生活は誠に複雜にして叙述し難けれども我輩か日常親しく見聞する所なれは耳目に馴れて却つて奇趣妙致なし田舎の生活は誠〔に〕單純なれども叙し去り叙し來らは趣味實に深かるべし詩人の吟詠田家の極致を歌ふもの多し然れと余が爰に〔記〕述せんと欲するものは徒に閑文字を弄して以て田家の幽懷を叙せんとするにあらず期する所は田舎生活の實况を冩すにあり

本縣の農家は三千万斤の砂糖をし三万石の米を生しその外麥粟豆の如きも各一万石を下らず然れども是れ多くは都人の生活に供するのみ詩人歌つて曰く昨日到城郭、歸來涙滿申、過身綺羅者、不是養蠶人と田舎の生活を一瞥して□起る所のものは實にこの感なり余か實際に踏査したるはその區域より云へは那覇の近在より遠く國頭に及ぶ然れども仔細調査したるは中頭の某間切〔内〕の一二ヶ村なり併し田舎の生活は那〔覇〕の近在も國頭郡も大した相違はなし故に何れなりとも一二ヶ村の情况を審かにすれば〔他〕は類推するも決して大差なきを信すたゞその異なる所は婚禮又は葬式等の習慣に過ぎざるものと知るべし

次回より家屋の構造より、衣類飲食、平素の嗜好、物觀遊散に至るまで序を逐ふて〔記〕述すべし

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