ソ連の裏と表 ⑾ – 强制労働所

ソ連の裁判の判決は、特定の禁固刑を除いては、「強制労働所に何年の収容」という刑期を科すのが懲役である。もっとも、原語では矯正労働所という言葉を使っているが、矢張り強制労働所という方がその内容を説明する適訳のようである。

前に述べたように、大量製產される囚人は、皆この強制労働所に送られるわけであるが、ソ連國内に至る所に散在する強制労働所に収容されている囚人は、その数二千五百万ともいい四千万ともいわれるが、統計は発表されないから、確かな数は知りようがない。しかし、いずれにしてもボウ大な数字であるに違いないことは、國内各地に板壁に鉄条網を張りめぐらし、四ツ角に望楼を据えた強制労働所が見えるという事実からも容易に想像できる。

強制労働所は地区毎に管理され、地区本部の下に分所が分かれ、小さい分所で五百人、大きいのは五、六千人を収容する分所が十個乃至三十個位集まって地区を作る。運河、道路、工場、発電所建築、鉱山その他の大きな開発事業は必ず囚人の集団の強制労働によって行われている。ソ連では囚人が労働力の主要な部門を占めている。強制労働所にも種類は色々に分けられるが、大きく分ければ、一般囚人収容所と特殊収容所とに分けられ、特殊収容所は政治犯のみが収容される。十六歳未満の未成年収容所はこの別にある。以前はバラックだけを別にした男女合同収容所があったが色々厄介な問題が起ったため五〇年以降は分所を男女別にするようになった。

地区にはペレスイルヌイ・ブンクトというのがある。適訳は見当らないが直訳は「配達の場所」という事でつまり囚人集散地域、或は囚人配給所とでもいうべきだろう。中継監獄から送られてくる囚人は、指定地区の此のペレスイルヌイ・ブンクトに届けられる。ここで簡単な身体検査が行われ、労働の適不適が決定され、健康者は直ちに地区内の作業分所に配給される。極度に衰弱したものは、ここで健康回復まで休養することになっているが、厳密に検査をすれば、長い監獄生活と箱詰旅行の為例外なく衰弱しているわけだが健康者は一人もいないということになる。労働所は國家計画に依る生產プランの割当を遂行する為には、先ず労働力を確保しなければならない。したがって出来るだけ多くの労働者を作る為には、身体検査は簡単な程よいとされている。真裸になって検査所に入ると、先ず検査官は、「手と足は動くか?」と聞く。手足が動きさえすれば健康者である。次に回れ右させてお尻の肉を指でツマミ肉付をみる。お尻の肉がツマメたら労働適である。肉の代りに皮ばかりつまめて、おして骨に当るようだと労働不適と決定されて休養を許される。これが唯一の囚人検査の方法である。

特に本人が内部疾患の病状を訴え診断を申し出た場合は、聴診器を取ることもある。聴診器というのは十糎長さ位の母指大の竹筒の先に朝顔様のラッパ形が付いているのを患者の胸におしつけ、医者が患者を抱く様にして聞くものである。我々の知っている長い二本のゴム管の付いている聴診器を使う医者は都会の病院の院長級である。

一般収容所に於いては、その働き高に応じてわずかながらも金銭で労働奨励金を与えてもよいことになっている。働いた仕事に対して支払うべき労賃の中から、生活費(衣食住)として三百十ルーブル差引き、残額があった場合はその半額を囚人の奨励金となるが、そのまた三〇%は税金として引かれる。肉体労働者が一ヵ月付五百ルーブルの稼ぎが普通とみてよいから三百十ルーブル引かれた半分の更に三〇%税金で手取りの小遣は月六十六ルーブルということになる。囚人が税金を納める國ではまだまだ理想の楽土建設は遠い遠い夢のようだ。(1957年5月10日付沖縄タイムス夕刊4面)

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