果たして内部抗争はあるのか、そして会長の跡目はだれが継ぐのか – 。旭琉会の多和田真山会長射殺事件は、犯人の組員2人が早期逮捕されたことで、今後は旭琉会の内部がどうなるかに焦点が絞られてきた。
今のところ、主流派と反主流派が和解し、犯人を出した一家の総長が謹慎することで、組織の内部は一応の結着を見た格好。下部の組員にも事件発生直後から、「しばらくは動くな」との指令が出されていたといい、表面的には抗争の動きは見られない。
組員の動きを制止 / 総長会議で抗争にケリ
しかし、暴力を “使命” とするのが暴力団。幹部の決定に不満を持つ下部の組員が組織を飛び出して報復に出ることも十分考えられ、抗争の危険性も完全には否定できない。
もし抗争が起きた場合、最も被害を受けるのは一般の県民である。県警も “和解” の情報にひとまず胸をなでおろしながらも、さらに気を引き締めて警戒を続けて行く方針だ。
県警幹部の話だと旭琉会の主流派と反主流派が “和解” したのは12日に開かれた臨時総長会議の席だった。
これまで旭琉会では毎月10日に総長会議を持ち、その場で上納金なども納めていたが、9日未明に多和田会長が射殺されたことで会議どころではなくなった。が、葬儀を終え、このままでは抗争も必至の情勢に加えて県警からの警告もあり、組織として何らかの結論を出さねばならなくなった。そこで総長会議になる。
場所は沖縄市内のかっぽう。午後5時から午後7時までの2時間、参加した14の総長は言わば “和気あいあい” といった雰囲気で、最初から “和解” の結論が準備されているようなものだった。
会議の冒頭、主流派で行動隊を抱える一家の総長が「抗争を起こしたくない。しかし、若い者が何をするかわからない」と発言、会議の様子を見た。が。支持する総長は少なく、結局犯人を出した一家の総長の役職はく奪と1年間の謹慎で落ち着いた。そして、もし抗争が起きた場合、最初に手を出した一家には旭琉会全体で当る – ということになったという。
県警内部でも「あと数人が死ななければおさまらないだろう」と見られていただけに、意外な結末だった。
が、もともと旭琉会内部の不満は多和田会長個人よりも、会長のスタッフだった一家の総長に向けられていたという。「会長を利用して自分の勢力拡大を図っている」と。すれば、この日の総長会議で主流派の総長の意向が受け入れられる可能性はまったくなかったとも言える。
旭琉会は今後しばらくは照屋正吉副会長を会長代行の形にした集団指導体制で行きそうだという。このまま行くと抗争は起きないわけだが、発生から幕引きまでまるで絵をかいた展開だった。(昭和57年10月14日付沖縄タイムス15面)
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