飯田猶という人物

今回は復帰後の沖縄において実際にあった反自衛隊闘争について言及します。いまではありえないことですが、我が沖縄において自衛隊所属のスポーツ選手は沖縄代表として国体に派遣されることはありませんでした。その前例になった事件については後日説明しますが、昭和52(1977)年10月開催の第32回国体秋季大会(青森県)で初めて自衛隊所属の選手が国体に派遣されます。

その選手は海上自衛隊沖縄航空隊所属の飯田猶(いいだ・なおし)選手で、我が沖縄代表としてボクシング・ライト・ウェルター級に出場することが新聞に報道されるや、県原水協など民主団体が大騒ぎします。そのときの記事の一部を紹介しますので読者のみなさん、ご参照ください。

自衛隊員の国体派遣決定体協、那覇市議会の民主クに回答

那覇市議会の民主クラブ(山川正平会長)は二十七日午前十一時すぎ、自衛隊員の青森国体派遣問題で大里喜誠・県体協会長と会い「自衛隊員が国体に参加できるよう、責任を持って措置して欲しい」と申し込んだ。これに対し、大里会長は「いろんな抗議や激励はあったが、二十二日の理事会で予定どおり自衛隊員を派遣することを決めた」と答えた。

来月二日から開催される青森国体のボクシング・ライト・ウェルター級に沖縄代表として海上自衛隊沖縄航空隊の飯田猶選手が出場することになっているが、この問題で県原水協(仲吉良新理事長)などから「悲惨な戦争体験を持つ沖縄県の国体代表選手として自衛隊員を送り出すのは許せない」と自衛隊員の派遣中止が求められていた。

このため、那覇市議会の民主クラブは「一部団体から派遣中止の抗議があるが、これは他府県では例がない。純粋なスポーツ精神を冒とくするものであり、断じて許せない。体協は責任を持って派遣できるように措置して欲しい」と申し入れた。これに対し、大里会長は「スポーツ責任者として政治的な判断はしたくない。二十二日の理事会では全員一致で予定どおり派遣することを決めた。このことは二十四日に知事に報告した。私としてはできるだけ荒立てることはしたくない。静かに見守ってもらいたい」と答えた。

引用:昭和52年9月27日付琉球新報夕刊3面

この報道に対する沖教組の反応は以下の記事をご参照ください。

国体役員の派遣中止も 沖教祖自衛隊出場に強く反発

「自衛隊員の国体派遣は理事会で確認ずみ」と、大里喜誠・県体協会長が二十七日、那覇市議会の民主クラブ代表に答えたことについて、沖教祖は二十八日に三役専従会議を開き、自衛隊員の国体派遣問題について話し合い、同日中にも体協に再度強硬な申し入れを行うことになった。

福地沖教祖書記長は二十七日午後、「大里体協会長が自衛隊員を県代表として出場させるとの報道をみてビックリした。自衛隊というのはそもそも、札幌地裁の福島判決で違憲というのが出ており、県民感情としても、自衛隊員が沖縄代表として出るということに反対している。体協側が建前論で、国体参加資格に合致するから反対は出来ないということには合点がいかない。最悪の場合は沖教祖の国体役員派遣は中止せざるを得ない」と語った。

引用:昭和52年9月28日付琉球新報9面

ブログ主が気になったのは、太字部分の「県民感情としても、自衛隊員が沖縄代表として出るということに反対している。」という福地沖教祖書記長の発言で、沖教組ら一部民主団体の合意事項を「県民感情」とみなして自衛隊員の国体派遣に反対していることです。まぁこれは(自称)市民活動にはよくある話ですのでこれ以上の突っ込みはやめておきます。

沖縄県体育協会(以下沖体協)の決定に対して、原水協ら民主団体の対応は以下の記事をご参照ください。

原水協、自衛隊国体派遣で県体協の抗議関係組織に役員引き揚げ指示

自衛官の国体への派遣中止を求めている県原水協(仲吉良新理事長)は、二十八日、県体協に対し抗議を行うとともに、再度、派遣を検討するよう申し入れた。これに対して大里喜誠会長は、「全会一致で決定したことであり変更はできない」と、これまで同様の見解を示した。平行線のまま話し合いは物別れとなったが、県原水協では翼下組織へ「役員、監督、選手団の引き揚げ」を指示、説得に当らせているが、この日まで役員一人の辞退が報告されている。

県原水協では、この日午後零時半から体協会館前で抗議集会を開いたあと、仲吉良新理事長ら八人が大里会長と会い、派遣への抗議を行い、「”根なし草”の自衛官は県民として認め難く、また悲惨な戦争体験をした沖縄県民の代表として送るのは問題がある」と派遣中止を申し入れた。

大里会長はこれまでの見解を示し、「要請にそうよう努力はしてきたが、評議会で全会一致で決めており、あた二十九日に結団式が迫っているので仕方ない。抗議は抗議として聞き、努力してきたことなので認めてほしい」と答え、自衛官の「派遣中止」は困難であることを強調した。

このため県原水協では「自衛官を派遣するのであれば、加盟団体の役員、選手を引き揚げさせる以外にない」と述べたが、大里会長は「批判は甘んじて受けなければならないが、要綱に照らして派遣せざるを得ない」と平行線のまま終わった。

引用:昭和52年9月29日付琉球新報2面

だがしかし、原水協の役員引き揚げ指示は失敗に終わります。以下の記事をご参照ください。

自衛官国体派遣問題選手引き揚げ断念 原水協「時間的に無理」

原水協(仲吉良新理事長)は「国体への自衛官派遣の問題」などを議題にして、二十九日午後五時から緊急常任理事会を開いたが、役員、選手団の引き揚げについては時間的な面から対応することあできず、また、すでに辞退することを決めていた役員一人についても「職務拒否」との関連から派遣せざるを得ないとの結論に達した。さらに、「県道 104 号超え実射訓練」についても討議されたが、結論が出ず、三十日の理事会に持ち越した。

自衛官の国体派遣をめぐって、原水協加盟の役員、選手などの引き揚げについては、二十八日から沖教祖、自治労などを中心に説得に入っていたが、この日までに役員一人だけの「辞退」を確認しただけにとどまった。

このことについては、自衛官派遣への対応が遅れたことで、組織的に説得することが、すでに時間的に不可能になったことが大きな原因としている。特に、沖教祖の場合、監督で参加する者には生徒の引率との関連で、かなり説得に困難があった。

一方、県職労から総務担当役員の「辞退」については、これが「業務拒否」ともかかわることから、この面からの討議がなされた。しかし、全体的にこれを支える業務拒否の闘争が現段階ではないことから、参加させることになった。

一方、県道 104 号超えの実射訓練については、これまで通り「住民生活の安全をおびやかすもの」で「反対」との立場にありながらも、これに対応する戦術は結論が出ず、三十日に結論を持ち越している。

引用:昭和52年9月30日付琉球新報2面

この問題は最終的に原水協ら民主団体が”敗北”を認めた形になりましたが、自分たち団体の意思を「県民感情」と看做して行動するあたり現在も昔もやることは一緒なんだと実感します。救いは大里喜誠県体協会長ら自衛隊員が国体の沖縄代表として出場できるよう尽力した県民がいたことと、そして

一部県民から迫害扱いをされても黙々と国防任務に従事した自衛隊員の存在

を我が沖縄県民はもっと知るべきなのです(終わり)。