閲覧注意

すでに Facebook 上ではアップした平良研一さんの「論壇」を改めて書き写して当ブログに掲載します。まずは平成30年5月3日付けの投稿をご参照ください。

2018.05.03 沖縄タイムス 論壇

原理原則なき安倍政権 – 近代民主国家の体をなさず

あのインド独立の父、マハトマ・ガンジーは社会的「大罪」として「プリンシプル(原理・原則・道義)なき政治」を挙げている。今の安倍政治を巡る状況は、まさにこのことが見事にあてはまるものだ。周知のように、安倍政権は前代未聞の数々の不祥事によって今や政権崩壊の危機に直面している。

最近の国会前を埋め尽くした数万人規模のデモでは、「文書改ざん詐欺政治」「まともな政治を」「安倍政権はいますぐ退陣」等々のプラカードが林立し、参加したある大学教授は「国会から完了組織までこれほど腐りきった姿を露呈したことがかつてあっただろうか」といかりをあわらにし、総退陣しかないと言い切る。

加計学園問題では、うそをついて隠していた「首相案件」という決定的な「メモ」が見つかり、獣医学部の今治市誘致に安倍首相が深く関わっていた疑いが濃厚になってきた。このように国民共有の「真実」を語る公文書が権力の都合で改ざんされ、隠蔽されたりすることは民主主義と国家統治機能を根底から揺るがす危機的状況である。

さらに森友問題で公有地の約8億円値引き問題の件で文書改ざんを巡って厳しく追求された佐川宜寿前国税庁長官は、実に五十数回にわたり「答弁拒否」を繰り返し、国会・国民を愚弄し欺いたこと、このことこそ「真実」を隠そうとする卑劣な「大罪」というべきである。この茶番劇を演じている、否演じさせられている官僚たちは気の毒というほかはない。

また同じ財務官僚トップが、女性記者に対する破廉恥なセクハラ疑惑で辞任に追い込まれている。こうした政治家や官僚の醜態をみると、道徳教育の「反面教師」が出そろった感がする。ちょうど新学期にあたって、政府・文部科学省は問題含みの道徳教育を正式に「教化」にすることに踏み切ったのである。安倍政権が道徳教育に執着するのは、招待された首相夫人の目の前で、森友の園児たちが戦前国家主義の教育を導いた「教育勅語」を暗唱し、「君が代」を歌う教育に感涙し絶賛した事実に、安倍首相自身も同じく賛同する思想傾向を持っていることと関わっている。それは安倍首相の楚族する右翼組織「日本会議」の思想でもある。

ともあれ、不道徳のオンパレードの安倍政権に道徳など唱える資格はない。こうしたいまだ近代民主主義の体をなしていない安倍政権の堕落の根本原因は、米国に追従し独立国家としての主体的な政治姿勢、いわゆる「プリンシブル」が欠落していることにあるといえよう。(浦添市、沖縄大学名誉教授、79歳)

ちなみに上記の投稿が「まだましな部類」であることをご理解いただく上で、平成28年(2016年)9月10日の同氏の投稿(の書き写し)を再掲載します。

2016.09.10- 沖縄タイムス 論壇

「新聞は偏向」見当外れ – 辺野古・高江の抗議 当然だ

日本の言論界の一部で、沖縄の新聞は「偏向」していると言われ、2紙ともにつぶせという乱暴な発言さえ散見される。「偏向」は、辞書には「一方にかたよった傾向」と簡単に書かれているが、それだけでは分かりにくい言葉である。また、一つの指標とされる「中立」という言葉も、どちらにもくみしないという、肝心なところで逃げる構えのうさんくささがつきまとう。ともあれこれらの言葉は、複雑多様化し矛盾が渦巻くこの社会の問題を、どの立場でどのように読み解くかを問いかけている。

さて、改めて「偏向」を社会的に見ると、戦後民主主義の教育の一環として平和教育が勢いを増すなかで、それをけん制する狙いで「偏向教育」とされたことが一般化したことがわかる。1950年代に自衛隊が創設されるなど、米国との関わりで、「再軍備」が明らかになるにつれて平和憲法の形骸化に反対する労働者、知識人と政府は鋭く対立するようになる。戦後憲法の理念に沿って、平和教育を実践するという極めて自然な活動に対する「偏向」とレッテル貼りは全く不当なことであった。

こうした政府の「反動化」の傾向は、戦後10年を待たずに始まったことであり、この大きく常識を逸脱する政治思想傾向こそ「偏向」というべきではないか。また本土で、公民館での原爆展が「教育の政治的中立」に抵触するとして不許可になったことなど「中立」を盾にした憲法違反の疑いも遁れない事例である。

さらに現在「辺野古」「高江」では、平和的に生きる権利を侵害され、命をさえ脅かされていることに、住民は当たり前の抗議、反対運動を続けている。最近子どもがオスプレイの訓練におびえており、眠れない、勉強ができないなどの悲痛な声に居たたまれず、村長をはじめ、議員、区民も総出で抗議に出向いている。俳優の吉永小百合さんも、ある週刊誌の対談で「これまでつらい経験をしてきた沖縄の人たちにももっと人間らしい対応をしてほしい」(本紙8月21日付)と苦言を呈している。

冒頭に掲げた県内2紙は、日・米の基地政策の理不尽さと横暴さを激しく批判しているが、これも住民が人間らしく生きる権利の保障を代弁する新聞の当然の使命であり、偏向呼ばわりは全くの見当外れである。これまで述べたように、特に「偏向」攻勢は、人の主体的な意識活動に実際に歯止めをかけるもので、例えば「辺野古」「高江」の闘いが、こうした権力の卑劣な攻勢に抗する平和と民主主義のメッセージを発しているのである。(浦添市、沖縄大学名誉教授、77歳)

この二つの投稿を読み比べて唯一納得できたのが(浦添市、沖縄大学名誉教授、年齢)の部分で、投稿者本人が住所と年齢を正確に把握できていることです。平成28年投稿分は、一読して本気で記憶障害などの脳の病気を疑いました。すくなくとも進行性の痴呆障害などではなさそうで一安心です。

インターネットの拾い記事によると、同氏は「金正恩著作研究会共同代表」のようですが、個人的には「こんな人物を相手にしないといけない朝鮮労働党の人たちは大変だな」と心底気の毒に思います。少なくとも金正恩政治がプリンシパルに欠けているか否かをご自身で判断して、上記の投稿をして欲しいと思いつつ今回の記事を終えます。


【参考】 このWeb ページを読んだ後に、ブログ主はなぜか「喜舎場朝信を救う会」の記事を思い出してしまいました。参加者は金正恩政治は「アメリカの戦略のおかげでやむを得なく核開発を行っているのであって、金氏および朝鮮労働党は善良だ」とでも思っているのかもしれません。

反帝・自主・平和・連帯のためのシンポジウム – 日本と沖縄の未来を拓くために –

2月11日、「反帝・自主・平和・連帯のためのシンポジウム」が、沖縄県立博物館・美術館において金正恩著作研究会と21世紀自主フォーラムの共催で開かれました。

シンポジウムには、金正恩著作研究会共同代表の平良研一・沖縄大学名誉教授をはじめ、沖縄の議員や労働組合活動家と全国各地のチュチェ思想研究者など各界人士が参加しました。

シンポジウムには、4人のパネリストによる報告からはじまりました。

はじめに平良研一教授が「朝鮮半島情勢にみる現代帝国主義の特徴」と題して、「第二次世界大戦は帝国主義間戦争であり、戦後アメリカは日本全土を軍事基地化し、沖縄に銃剣とブルドーザーで核基地までつくった。朝鮮はアメリカの核攻撃に対抗するために核武力建設をすすめた」と報告しました。

つぢに、名護市議会議員の仲村善幸氏が「名護市長選の結果に見る今後の課題」と題して「今回の選挙は基地問題と関係ないという論調ですが、若者たちがまちがった流れにのせられてしまった。わたしたちの思想、信条が大切である」と報告しました。

つぎに、アーティストの喜名昌吉氏が「南北分断をのりこえて」と題して「朝鮮半島が分断され、いまも休戦状態のままである。核戦争の領域まできてしまうと、人類全体の問題となってしまう。平昌オリンピックで平和の流れがすすんでいる。その後の動きに注目したい。沖縄から核兵器禁止、南北統一を発信していきたい」と報告しました。

(中略)つづいて、質疑応答が行われ、日本基督教団沖縄地区牧師、沖縄バス労組委員長、糸満市議会議員、元高校教師らが発言しました。シンポジウム後には懇談会がおこなわれ、沖縄から平和の動きをすすめていこうとする意見が交わされました。沖縄の現実をみつめなおし、あらためて自主とうちたてていくことの重要性を確認する集まりとなりました。