前回記事において、左翼とは「あらゆる社会秩序を根本的に見直すことで、社会的不公正を是正することを目的とした人たち」と定義しました。「あらゆる秩序」ですので、当然現在の天皇家の存在も例外ではありません。富の再配分などの社会的公正を目指すために天皇の存在が邪魔と判断した場合は、左翼の立場では「天皇の廃位」も想定しなければなりません。
ただし問題は、天皇の廃位を含む社会秩序の見直しを行った場合に、どのような社会秩序で社会を再構築して不公正を是正するのか、そのためのグラウンドデザインを旧革新勢力の知識人たちが提供できなくなったのです。理由は前回記事でも指摘したとおり平成3年(1991)のソビエトの崩壊で、社会秩序の再構築のための有力な代替案であったマルクシズムが思想的有効性を失ったからです。その後中華人民共和国の急速な資本主義化(社会主義市場経済)も共産主義の権威低下に拍車をかけることになります。
しかも現在の旧革新勢力は何が何でも政権を奪取しようという気概がありません。日本共産党ですら『確かな野党』を目標にする有様で、直近では平成21年(2009)の民主党中心の連立政権の無様な失敗がサヨクの立場の人たちの自信を完全に喪失させることになってしまいます。
政権を奪取する望みもない、その気概もない、ましてや社会的不公正を是正するために革命を起こすチャンスが皆無となった今、サヨクの人たちは必然的にアノミー(無規範・無原則の状態)になります。そうなると外見は正常、かつ社会的地位にある人でも、(ウヨクや保守的な立場だけでなく)第三者の立場から見ると、彼らの存在が矛盾だらけの極めて異質な存在に感じざるを得なくなるのです。(だからサヨクがパヨクにダウングレードしてしまったのです)。
現在のサヨク(あるいはパヨク)の人たちは、旧社会党の悪い部分だけを継承してしまいます。それは
1.反対がための反対の行動パターンが常態化してしまったこと。
2.本人たちはすべての人たちにアピールしているつもりも、結果的には特定階層の人たちの支持しか得られない。(結果的に特定階層の人たちを喜ばせる言動しかできなくなる)
の2点で、現代では辺野古や高江で反対運動している人たちがピンストライクで該当します。「反対がための反対」は旧社会党を初め革新勢力おなじみの行動パターンでしたが、是正するどころかますます悪化している感じです。そのような人たちが社会的正義や矛盾の是正を強調しても、そんな声は多数の市民には届きません。むしろそのことにうすうす気が付きながらも反対運動をする人たちに対して、残念ながらブログ主は哀れみの言葉を見つけることできないのです。(続く)