前回の記事において、天皇の権威は「革命を否定する」ことで理論化されたことを記載しました。その論理は復唱すると「日本は世界でもっともすばらしい国である。その理由は神代以来天皇家が君臨し給い、有史以来革命(放伐)が一度も起っていない」になります。そうなると、当然前回の記事で説明した通り、
・天皇の権威は絶対である。
・湯武放伐(革命)の思想の否定。
になるのですが、実はさらに理論を突き詰めると
「日本は世界でもっともすばらしい国である。その理由は神代以来天皇家が君臨し給い、有史以来革命(放伐)が一度も起っていない。それゆえに日本=天皇であり、陛下のなさることはすべて正しい。」
になります。この思想こそが、右翼の理想かつ完成系になります。現代人には理解しがたい考え方ですが、明治維新を経て2大戦役(日清・日露)に勝利した後の日本人たちは本当にそのように思っていたのです。
たとえば、大日本帝国憲法は何故守らなければならないのか?と問われると、戦前の日本人は、
「教育勅語にそのように書いてあるから。」
と答えます。言われてみれば教育勅語には確かに「常ニ国憲ヲ重シ国宝ニ遵ヒ」とあります。ほかに親孝行するのも、兄弟仲良くするのも、勉学に励むのも、「教育勅語に書いてあるから、日本人は守らなければならない」との考え方が一般的だったのです。現代からすると信じられない話ですが、当時の日本人たちは本当にそのように考えていたのです。つまり「天皇陛下がおっしゃったことだから正しい」と判断したのです。
当時の日本人に最も人気のある歴史人物はだれか?それは楠木正成(1294~1336)です。後醍醐天皇に殉じた彼の生き様は、まさに「右翼の手本」でありますが、彼の行動パターンは「陛下のなさることはすべて正しい」という確固たる信念がないと説明がつきません。
現代の日本において「右翼」が「ウヨク」に変質したのは、大東亜戦後の敗戦の結果、「天皇陛下のなさることはすべて正しい」との信念が欠落してしまったからです。明治時代に確立した「天皇陛下の前では日本人はすべて平等」との発想は現代社会でも有効ですが、残念ながら天皇家の権威は大日本帝国時代に比べると著しく低下してしまったのが現状です。
だからブログ主は現代には本当の「右翼」は存在しないと仮定しています。大東亜戦争の敗戦および、戦後の社会制度の改革(教育勅語の廃止)や、内面の良心の自由の発想の一般化によって、現代では「心の中においては天皇陛下のことはどのように考えてもかまわない」社会になったのです。そのような社会環境では権威の絶対化は起りにくく、これは天皇家でも例外ではありません。だから現代の「ウヨク」は、もしかすると一旦緩急あらば陛下を守るどころか、我先に逃走するかもしれない、所謂「口だけ番長」に成り下がった存在と言ってもいいかもしれません。(続く)