9月26日の文化庁報道発表「あいちトリエンナーレに対する補助金の取り扱いについて」で再燃したあいちトリエンナーレの問題、ブログ主は正直あまり興味ありませんでしたが、今月9日付沖縄タイムス1面で大々的に報じていたのをきっかけに、関連する記事をチェックしてみました。他府県の芸術祭のトラブルに関してなぜ沖縄のメディアがここまで大々的に取り上げるのか気になって調べてみたのですが、大雑把にいうと「権力側による芸術祭への干渉」という観点から纏めた記事が多数見受けられました。
つまり「権力の弾圧」をテーマに記事を配信している傾向があるのですが、はたして本当にそうなのか、ためしに文化庁報道発表の全文を書き写しましたので読者の皆さま是非ご参照ください。
あいちトリエンナーレに対する補助金の取り扱いについて
「あいちトリエンナーレ」における国際現代美術展開催事業については、文化庁の「文化資源活用推進事業」の補助金審査の結果、文化庁として下記のとおりすることにいたしました。
補助金適正化法第6条等に基づき、全額不交付とする。
【理由】補助金申請者である愛知県は、展覧会の開催にあたり、来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず、それらの事実を申告することなく採択の決定通知を受領した上、補助金交付申請書を提出し、その後の審査段階においても、文化庁から問合わせを受けるまでそれらの事実を申告しませんでした。
これにより、審査の視点において重要な点である、〔1〕実現可能な内容になっているか、〔2〕事業の継続が見込まれるか、の2点において、文化庁としては適正な審査を行うことができませんでした。
かかる行為は、補助事業の申請手続きにおいて、不適当な行為であったと評価しました。
また、「文化資源活用推進事業」では、申請された事業は事業全体として審査するものであり、さらに、当該事業については、申請金額も同事業全体として不可分一体な申請がなされています。
これらを総合的に判断し、補助金適正化法第6条等により補助金は全額不交付とします。
この発表を読む限り、愛知県側の手続きに問題があり、文化庁側で十分な審査ができなかったというお話です。そして同芸術祭は大炎上騒ぎを起こし、結果として「実現可能な内容になっているか」「事業の継続が見込まれるか」の2点が危ぶまれる事態になったのでペナルティ発動という文化庁の言い分はごもっともです。
ちなみに沖縄タイムスの社説では「不交付は『申告すべき事実を申告しなかったという手続き上の理由』としている。額面通りには受け止められない。事業採択後の不交付は異例で、事実上の「事後検閲」といわざるを得ない」と主張しています。ただし「来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していた」ことをちゃんと文化庁に説明すればよかっただけの話ですし、異例の炎上騒ぎを招いた責任を文化庁が補助金申請者である愛知県側に厳しく問うのは当然です。はっきり言って「事後検閲」でもなんでもありません。
芸術とスポンサーとの関係
いまもむかしも芸術とスポンサー(パトロン)は密接不可分の関係です。当たり前のことですがスポンサーを満足させるよう”表現活動”を行う義務が芸術家にはあり、そういう関係が成り立ってはじめて文化や芸術の活動が行えるのです。
今回の案件は権力vs芸術家という構図でなく、スポンサーと芸術家との関係で考えるほうがすっきりします。つまりスポンサーの意に反した活動を行ったペナルティーに他ならず、金を出す側(文化庁)と表現する側(愛知県および芸術家)が事前に十分な打合せを行えばこんな騒ぎは起きなかったはずです。
そこで今回の文化庁の決定に対して、愛知県側としては「文化庁への申請は問題なかったし、今回の騒ぎは明らかに想定外だ」と淡々と反論するのがベターなのです。それを愛知県知事が「憲法違反だ」だの「表現の自由への侵害」だの余計な文句をつけるから、端から見ると騒ぎがますます大きくなるという悪循環に陥ってるとしか思えません。
「公金を使うな」は表現に対する弾圧ではない
今回のあいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由・その後」に関して河村たかし名古屋市長は「展示の中止」を求める声明をだしました。この件に関しても賛否両論ありましたが、河村市長の主張はひとことでまとめると「公金を使うのはいかん」になります。
ブログ主は河村市長の一連の言動はいちいち問題にする必要ないと考えてます。つまり
公費がでなければ自費でやればいいのです。
文化庁にかわる新たなスポンサーを探して表現活動を行えば河村市長もあれこれ文句はいいません。本当の弾圧とは公費だろうが自腹だろうが関係なく表現活動に干渉することであり、今回のあいちトリエンナーレの案件には明らかに該当しません。自分たちの想定どおりにならなかったから「表現活動に対する干渉だ」と唱えるのはあまりにも幼稚すぎますし、あるいはこの視点のほうが「記事が纏めやすい」と判断して記事を配信しているのでしょうか。いずれにせよブログ主は「権力からの不当弾圧」という主張に賛同することはできません。
皇室に対するヘイト表現は許されるか
今回一番問題になったのは昭和天皇に関する作品で、既存マスコミはこの件に関して極力触れないよう注意深く記事を配信しているよう見受けられました。皇室に対してヘイトと誤解される表現活動には厳しい社会的制裁が課されることが伺える報道姿勢ですが、それではわれわれは皇室に対してはどのように接すればいいのか、ブログ主が思うに現代社会においては
こころのなかでは何を思ってもかまわないし、そこには干渉してはならない
になります。あいちトリエンナーレの案件で愛知県側を支持する人達、および沖縄のメディアは試しに自費で「表現の不自由展・その後」を開催してその反応を確認したほうがいい、その上で「表現の不自由」について言及したほうがいいだろうとちょっとした厭味で記事を〆るブログ主であります。