これまで6回にわたって掲載した太田朝敷先生の論説「芋の葉露(田舎生活)」のまとめページです。当ブログでは琉球新報に掲載された原文および写しと太田朝敷選集(中巻)に掲載された旧漢字訂正分(の一部をブログ主が校正)を掲載しました。
参考までに太田朝敷選集の編者である伊佐眞一先生の書誌改題を紹介します。
書誌改題 – 芋の葉露(田舎生活)は明治34年1月11、13、15、17、23、25日の6回「天南」の号で「琉球新報」に連載された(ただし第5回は原紙が不明で欠落)。太田みずから「余が実際に踏査したるはその区域より云へば那覇の近在より遠く国頭に及ぶ」と書いたのは、「社会の程度を見るにはその生活の状況を視察すること最も捷径なり」との信念からであった。
引用:太田朝敷選集(中巻)514ページ
なんか拍子抜けするぐらいあっさりとした批評ですが、ブログ主は首里士族出身で啓蒙思想の洗礼をうけた明治知識人の田舎評としてきわめて貴重と考えています。通読することをお勧めします。
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