今回は自衛隊と沖縄について少しだけ言及します。我が沖縄では復帰後の昭和47年10月に自衛隊が配備されて以降、労組や教員組合などが目の敵にしてきた影響で、現在に至るまで「反自衛隊感情の強い地域」と誤解されている読者も多いかもしれません。
たしかに配備当初は(自称)民主団体ほか一部の住民からも反感を買ったのは事実です。ただし復帰当初は猛烈だった反自衛隊闘争が配備から5年を経過したあたりから急速に尻すぼみになり、現在では自衛隊は完全に地域に密着した存在になりました。時代が変わったと言えばそれまでですが、なぜ自衛隊が沖縄で受け入れられたかを考えると、「労組や教員組合よりも沖縄の現実に貢献してきたし、いまも貢献している」と県民が判断したからです。
労組であれば労働条件の向上、教員組合であれば教職員の待遇改善が主な仕事であり、実際にそれらの活動をしていることは間違いありませんが、それよりも自衛隊の方が沖縄社会に貢献しているのです。たとえば福地曠昭さん(元沖教祖委員長)の著書によると、急患輸送について次のように述べています。
一九七二年の「復帰」によって、数千名の自衛隊が沖縄に配備された。県民は、それに反対してきたが、日がたつに従って、巧みな宣伝工作によって、反自衛隊感情が弱まってきた。
市民権を獲得するために、自衛隊は、沖縄戦の終了した「六・二三慰霊の日」に、戦跡地の摩文仁から行軍を行ったが、県民にかえって反発を生んだ。離島からの急患輸送や、暴風雨時における食料輸送などでも積極的に買って出た程である。しかし、これも革新県政が離島の輸送対策をとることによって最小限に押さえられた。(中略)
引用:教育戦後史開封 – 沖縄の教育運動を徹底検証する – 308~309㌻
ちなみに松川久仁男さんの著書『自衛隊に反対する沖縄』によると、「昭和47年から昭和54年までに行われた陸上自衛隊の緊急患者空輸は1,094件、患者数は1,180人に達している」と記載されています。自衛隊の民生活動を宣撫工作とみなして敵視し、急患輸送など都合の悪い部分については「最小限に抑えられた」と主張する団体と、黙って民生活動を行なう団体とどちらを信用するのか、沖縄県民もそこまでバカではないという傍証です。
ちなみに松川久仁男さんの著書に真栄田義見さんの序文が掲載されていました。実に興味深い内容で我が沖縄において自衛隊が受け入れられたことを理解する助けとなります。読者のみなさん、是非ご参照ください。
松川久仁男著『自衛隊に反対する沖縄』昭和55年5月3日刊行より抜粋
序文 – 真栄田義見
復帰七年目を迎えた。復帰の年の 47 年 12 月国の振興計画がスタートした。本土との格差を是正するという大義名分から、本土各地より常に高い比率で公共投資が伸ばされた。48 年度以降の年平均伸び率は全国 19 %に対し沖縄は 22 %で、国の手厚い保護を受けてきた。
復帰7年目を迎えた今日も、その効果を見られず、失業率は 6.3 %という本土の3倍の数字である。
これに対して、日銀那覇支店は「公共事業費などの資金で沖縄経済のパイはどんどん大きくなった。しかし、全部食べてしまい県内生産力の拡大に結びつける努力が足りなかった。従って雇用拡大も微々たるものだった」と説明しているという。
誰が食べてしまったかは経済専門ではない筆者に分る筈がない。素人の私にも言えることは、ただ一つ、企業で再生産に必要な余裕資金を蓄積することができなかったのではないか、その原因の多くは、組合の協力を得られず、人件費倒産ということによるものではないか。
戦後間もなく月星靴が安謝に大きな敷地の製造工場をもった。雇用効果が高く何百人とかの従業員がいたという。
しかし、4,5 年も待たないで引き上げていった。引き止め運動もあったが、引き止めることは出来なかった。
引き上げの原因は組合が強くて、経営上の困難を生じたためだといわれていた。
その後、筆者が東京で通産省の役人から沖縄は日本全国で労働環境の悪い県の一つだ、政府や県の企業誘致のため有利な条件づくりをしても労働環境がよくないと二の足を踏むだろう、などと云っていた。
松下電気が折角県の誘致政策に乗って南部糸満郊外に5万余坪の敷地を購入して企業進出を計画した。
それから数年も立って遂に沖縄での操業を断念して、その敷地を県と糸満に寄付したという。
沖縄での企業のメリットがないというのがその理由のようだ。
あるいは通産省の役人の評言が当たっていたのではないか。
在沖米軍による日本人従業員の大量解雇(復帰後通算約1万2千人)のためでもあろうか、完全失業率のうち30 歳未満の層が 65 %(53 年平均)を占めるという事実は、沖縄当面の大問題は平和運動でもなく、自衛隊反対運動でもなく、雇用の機会をつくり出す努力であるということを証言している。
平和というものは、戦争の反対、即ち戦争がないから平和だという単純な認識に立つべきものではないだろう。
国民全体が飯を食うことができ、文化的生活ができることを平和というのである。一人でも飯を食うことができない、親が子を育てることもできず、一家心中することがあるというのは、平和な社会ということはできない。
だから、平和は国民連帯感で、隣の病人をいたわり、食えないのを食うようにするヒューマニズムに立った運動こそは、いまの沖縄でもっとも強く叫ばねばならない平和運動だろう。
若い労働者層の失業が全失業の 65 %も占めているというなら、他県ならすでに深刻な社会問題となりそうだが、一向に社会問題にならないのは何のためだろうか。
琉球銀行調査部では次のように云っているという。
「いまの沖縄は強い協同体意識で支えられ、相互扶助で何とか生活しているが、この世代が一家の大黒柱になる 10 年後は、大きな社会問題に発展しよう」
このような説明は、或いは真をついているだろう。
琉銀のいう協同体意識を支えているのは共同体的相互扶助を可能にする金があるからである。
いま沖縄は輸出した金額の 3 倍の金額を必要とする買物をして、ぜいたくな生活をしている。失業者が巷にあふれて、みじめな沖縄を予想してきた他県の人が、他県よりもぜいたくな消費生活をしているのにびっくりするという。
これは、貿易外勘定と呼ばれる輸出品(砂糖、パイン、観光収入)以外の収入、即ち米軍基地関係収入、自衛隊関係収入が大きく、金があるからである。貸地料収入は貿易外収入の中でも大きな比重を占めると思うが、その外にも軍や自衛隊で働いている沖縄人勤労者の給与所得、自衛隊や米軍関係者の日用生活に使う金銭等々の貿易外収入があるからである。
基地がなければ第一次産業が伸びると、基地反対運動者や自衛隊反対運動者はいうようだが、沖縄で農業で食えるかどうかは未知数である。現に返還した土地は、農業どころか荒地となって放置されて困っているというからである。那覇近郊の農業村が大きな収入を挙げているのは、基地をふくめての消費市場が大きいからではないか。
近ごろ、さやいんげん、かぼちゃ、花卉の輸出も大きな利益をあげているというが、そのためには、大きな施設がいるし、その施設をつくる資金は、貿易外収入の儲けに負う所が大きいと思うのである。
金は天下を廻って歩く、足なくして歩くので、お金のことを「おあし」ともいうのである。これから大きな基地収入、自衛隊からくる収入は、めぐりめぐって消費生活に使われて商売人を助け、バーやレストランを助け、農産物を買って農村を助けて、全島都市文化を助長すると共に琉銀調査部のいう共同体としての美風となって失業者を助けているのである。
これを考えた時に沖縄経済の再生産、振興のためには、自衛隊は大きな役目を果たしているといわねばならない。
イランで米大使館占拠事件がある。戦前なら、とっくに戦争になっている。戦前の戦争は国家利己主義、即ち自分の国が損をするからというので、武力でいうことを通そうとして宣戦を布告したのである。そういった意味の戦争は、途上国でも局地的には、まだ行われているが、これが局地戦によって戦争にならないのは、戦争が経済的に勝っても負けても引き合わないからである。
米大使館占拠事件も戦争にならないのは、武力行使が賢明な策ではないという判断からである。と、なると、今後戦争というものは、恐らくは起こらないだろうということができる。
それではロンドン大学の森嶋教授のいうように丸腰がいいのではないかという議論も成立する。
しかし、今の国際関係の中で国家理性がまだまだ民族協調のヒューマニズムに立っているとは言い切れない。いつ何時局地的難問がふっかけられることがないとは保証出来ないような状況にあるといわねばならない。
こういう国際間では、個人の家で戸締りが必要なのと同様に、国の専守防衛は、どんなことがあっても必要である。
自衛隊が軍国主義につながるという短絡的論理を弄する人がいる。軍国主義とは、新聞が軍国日本を謳歌し、国民が、その思考の根拠を国軍の強化に向け、教育が戦前のように戦斗訓練をして始めて軍国主義日本となるのである。
敗戦を経験した日本は、このように軍国主義に戻ることはないのである。
軍国主義には、県民全体がそっぽを向く状況の中で、自衛隊が軍国主義化することは絶対にあり得ない。
いま警察は社会治安を維持し信頼されている。同様に自衛隊も、国家の重大事件については警察機関と同様、国家保安の重責にあるといわねばならない。自衛隊と戦争とを結びつける短絡的考えはあってはいけないし、国家の目鼻立ちの一つとして必要なものとして、吾々は認識するものである。
中立を標榜するスイスでさえ軍隊がある。日本においても平和憲法下の専守の自衛隊はもたねばならない。
畏友松川久仁男氏が、その平素の信念に基づいて、自衛隊が国家重要な機関であり、国家守護の重責にある所論をまとめて、今回「自衛隊反対の沖縄」を刊行された。一般県民は勿論、自衛隊反対の運動者にも、その理解を求めるために読んでいただくことを切望する。(終わり)