“立場を踏まえないフラットな議論というものは存在しません” の考察

すでにご存じの読者もいらっしゃるとは思いますが、先月27日、「沖縄慰霊の日 残る遺骨問題」に端を発した米山隆一さんと阿部岳記者の論争について、ブログ主が極めて興味を引いた箇所がありましたので、備忘録として当ブログにまとめてみました。

※論争のまとめは以下のリンクをご参照ください。

ゴールデンラジオ『沖縄慰霊の日 残る遺骨問題』が、米山隆一さんと阿部岳さんの論争に発展

その箇所とは、米山隆一さんの6月27日付19時51分のつぶやきに対する阿部記者の引用ツイートですが、まずは米山さんのツイートをご参照ください。なお、米山氏は計5回つぶやいてますが、当ブログでは阿部記者が引用リツイートした箇所のみを紹介します。

沖縄タイムズの阿部記者から取材されました。氏の主張によると日本人の私は、沖縄の現状に責任があるから、その立場をわきまえて発言しなければならないとの事です。その様な議論は「お前は社会に貢献していないから立場をわきまえろ」と言う主張に転換しえます。議論は常にフラットに行うべきものです

それに対する阿部記者の引用リツイートの全文書き写しは以下ご参照ください。

沖縄タイム「ス」の阿部です。

電話でもお伝えしたように、そもそも日本と沖縄の関係が差別と被差別、多数者と少数者の関係であり、「フラット」ではありません。

立場を踏まえないフラットな議論というものは存在しません。

ちなみに、この “論争” は米山さんが阿部記者の主義・主張の正当化に自分の言動が利用されるのを嫌って、阿部記者をブロックし、それに対して阿部記者が “勝利宣言” のツイートを発する展開で終了しますが、ブログ主の興味を引いたのが「そもそも日本と沖縄の関係が差別と被差別、多数者と少数者の関係であり、「フラット」ではありません」の箇所であり、そのつぶやきには「だから本土の人たちは沖縄の立場に配慮した言動を行うべきだ」との本音が見え隠れしています。そしてその “本音” はアメリカ世時代からの我が沖縄の日本政府を含む本土に対する交渉の場における伝統的な発想なのです。

ちなみに内閣府の沖縄振興策を参照すると、「沖縄の特殊事情」と題し、歴史的事情、地理的事情、社会的事情を掲げて、それに踏まえた振興策を提示してますが、「沖縄の特殊事情に配慮して」の発想はアメリカ世時代にさかのぼって説明すると分かりやすいかと思われます。

大雑把に説明すると、「沖縄の特殊事情」は琉球政府が日本政府に対して日政援助などの交渉の際の決まり文句であり、本来の意味は「我が沖縄はサンフランシスコ講和条約で日本による潜在主権が認められたが、施政権が停止され、米国の信託統治下にある。それによって日本国民が享受すべきサービスを受けることができない事情を踏まえた上で、日本政府は沖縄に対して配慮してほしい」になります。

アメリカ世時代は誰が見ても日本と沖縄はフラットな立場ではなかったので、「沖縄の特殊事情に配慮して」の言い分は非常な説得力があり、それゆえに交渉の場において、日本側も己の立場を明示しつつも、沖縄に配慮せざるを得ない状況だったわけです。

なお、昭和47(1972)年の復帰後は、施政権が米国から日本に返還されたので、名目上はフラットな関係になります。ただし、アメリカ世時代に生じた本土と沖縄の “格差” に配慮すべく、内閣府は「沖縄の特殊事情」と題して振興策を実施します。その最大の目的は「本土との一体化」であり、それゆえに日本政府は非常な努力を払って我が沖縄のインフラや法整備などを整えていきます。

そして、平成に入ると、復帰当初に比べると沖縄と本土の格差は著しく縮まります。最大の功績はアメリカ世では4系統あった法体系を、日本国の法体系に一元化したことですが、ただし在沖米軍の縮小は遅々として進まなかったのです。そのため、「我が沖縄は本土に復帰して日本国憲法を適用することによって本土と同一のサービスを享受でき、それ故に米軍基地問題も解決できるはずだったが……」という失望感から、「我が沖縄は復帰後も差別され続けられてきたので(だからフラットな関係ではない)、日本はその点に配慮すべきだ」との発想に転換し、令和の今日に至るわけです。

いずれにしよ、沖縄を「特殊な立場」に設定し、日本との関係がフラットではないことを強調した上で、交渉を優位に進める方法に変わりはなく、すべての沖縄県民がそのような発想を持っているわけではありませんが、一部県民、少なくとも沖縄タイムス社内では “伝統的発想” が色濃く残っていることは間違いないでしょう。阿部記者も知らず知らずのうちに社風に染まっていたと思われますが、逆に考えると、この交渉スタイルは「沖縄と本土がフラットな関係」であると、相手は沖縄に配慮する根拠がなくなってしまうため非常に困るわけです。

そのため、この手の輩は「沖縄が特殊な環境下に置かれている」命題を証明すべく、合致する事実のみを強調し、それに反する言動には厳しく対応するケースが散見されます。今回の米山・阿部論争もその類なんですが、ブログ主は

沖縄が特殊な環境に置かれていないと都合が悪い輩こそ、真に沖縄を見下している

と思わざるを得ませんし、それ故に沖縄タイムスは “赤字” に転落したのではと余計なことを思いつつ、今回の記事を終えます。