突っ込まざるを得ない記事 / 戦後カオス編

今回はちょっと趣向を変えて、沖縄戦直後の社会について言及します。うるま新報などのマスコミが終戦直後の沖縄社会をどのように報じたかについて興味を抱いたブログ主はためしに調べたところ、予想の斜め上を行くカオスぶりに衝撃を受けました。

ちなみに終戦直後の体験談なら直接聞いたことありますし、『私の戦後史 / 沖縄タイムス社編』の連載も目を通していましたが、当時の新聞記事の内容があまりにも生々しかったので、その中から突っ込まざるを得ない記事をいくつか紹介します。読者のみなさん、気合を入れてご参照ください。(読者の便宜を計る上で旧漢字を訂正、および必要に応じて句読点を追加してます)

最初はブログ主が確認した限りでは初の “戦果” に関する新聞記事です。

酒精盗飲7名落命

世紀の再出発に当り沖縄全島民が今や希望と激しい情熱を以て協力一致建設に邁進せねばならぬ秋、特に期待さるべき青少年が何の反省も無く本能の求むるままに怠惰的享楽的に流れ煙草に親しみ酒に浮かれる等々の現状は志ある者をして顰蹙せしめてゐるが、去る4日石川市に於て衛生〔部〕から

無断で持出した工業用メチールアルコールを飲用

遂に8名生命を失ふ事件が発生した。被害者は17~8才の青少年より60才の老年に及び、4日の晩一座で飲用、奇蹟的に1人は生命に別条無いが他の者は全部其の日の深更から翌日にかけ〔て〕死亡した。石川住民病院大城医師の観る所に依れば、メチルアルコールの中毒は現在の所殆ど救助の処置なく、其の数日前にも同被害があったとのことである。(昭和20年12月19日付うるま新報2面)

初っ端から不穏な記事をアップしましたが、この小さな記事だけでも当時の沖縄社会のカオスぶりが伺えます。ちなみに旧ソ連のアル中たちは工業用アルコールを飲用する際に、火であぶるとか卵を混ぜて毒性を分離する等の技術があったそうですが(医学的に正しいか不明)、やはり東西世を問わず酒は人を狂わす代物なんだと痛感します。

次は教会に侵入した親子盗賊のニュースです。

親子組盗賊 / 糸満署に検挙

糸満支局発 男女6人が徒党を組んで兵舎を荒し、糸満署に捕まった。真壁村字名城78、佐久間ミヨ(26)同人母ンタ(53)同字大城志一(41)宮城武助(31)大城トク(29)仲地カメ(51)は22日午前2時頃共謀の上、字福地附近の米軍キャンプに忍び込み毛布、バケツ其他数点を窃取、

更に佐久間ミヨと同人母ンタは軍教会堂に侵入、神棚より金杯2個、銀杯1個、クロース牧師用の衣1枚を窃取の上逃走

行衛(ゆくえ)を晦(くら)ました。

糸満署では署員を手配し犯人捜査の結果、前記2名を有力な容疑者として検挙、家宅捜査により盗〔難品〕発見押収の上一味を一網打尽、糸満署に留置し、余罪〔ある〕見込みで引き続き取り調べ中である。(昭和21年02月13日付うるま新報2面)

教会に侵入しての窃盗はさすがにヤバイでしょと突っ込まざるを得ません。捜査に当たった糸満署の署員たちも必死で捜索したと思われる案件です。

もちろん当時の米軍が沖縄住民の盗難を見逃すはずはなく、その対策の一環として警察を発足させます。ためしに下記記事をご参照ください。

民警察新発足

沖縄住民の治安は沖縄人自身〔に〕託される事になり。其総元締の大任は軍政府憲兵司令官に依って仲村兼信氏が任命された。斯くて沖縄民警察の新機構は本部に部長の下、保安、防犯、教養、警務の4課を設け、知念、糸満、コザ、前原、石川、田井等、宜野座等の各地方に署を置き、本部地方共にそれぞれ人事が発令され新発足を遂げた。

住民の中には民警察に移れば取締が緩和するものの如く観るむきもあるようであるが事実に於いては特〔に〕

1、児童の窃盗

2、越境者

3、日本兵の探索

4、銃器弾薬及び危険物等の取締等々

に就いては厳重の取締りの命令が発せられており警察部長も件の命令の趣旨を徹底方を地方長、村長学校長等に伝達する所があった。

民警察の新発足は沖縄人に司法権を与ふるとの軍政府政策の具体的現はれであり、その成果の良否如何は沖縄再建の上に極めて影響する所甚大であり、住民各自に法規遵守が特に要請されている。(昭和21年2月6日付うるま新報1面)

この記事からも米軍が沖縄住民の盗難に悩まされた事実が伺えます。沖縄住民の盗難に関しては後に発足する沖縄民政府の志喜屋孝信知事からも論告は発せられるほど深刻な社会問題になりますが、もうひとつ危険極りない事態として不発弾の存在があります。沖縄民政府や民警察、および米軍側から不発弾と思わしき物質を発見の際は直ちに最寄りの警察等に届けるよう注意を呼びかけますが、そんな通知を素直に聞く人はほとんどいません。参考までに下記ニュースをご参照ください。

爆死実験

浦添初等学校教員嘉数盛喜(22才)は6月3日午前9時40分同校8年生受持児童を引率して浦添〔城址〕俗称ユードレ墓附近にて山羊の草刈中附近の山中より日本の追撃砲不発弾を拾い

此れを生徒に示し爆発させて見せようと云い、

生徒を立退かしめたる後地上に投擲したが不発、更に安全線を抜き石に叩いた瞬間爆発、同人は顔面腕部その他に重傷を受け即死、生徒〔に〕は負傷はなかった。(昭和21年06月21日付うるま新報2面)

これら当時のニュースから、予想をはるかに超える戦後沖縄の惨状に絶句したブログ主であります。(終わり)