突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – その1

今回はゆるい話題を提供します。昭和20年から37年までの新聞(うるま新報、琉球新報)をチェックすると、現代基準からすればツッコミを入れたくなる記事が数多く見受けられます。ブログ主が確認できただけでも10以上の記事(および広告)があり、今回はその中からえりすぐり(?)の4つを紹介します。読者の皆さん、是非ご参照ください。

最初に昭和27(1952)年の離婚訴訟に関する記事を紹介します。原文は少し分りにくい部分があるので、現代語訳を掲載します。当時の記事には “オブラートに包む” という発想がないことが分る記述になっています。

妻の “三行り半” / 夫は住所不定で宙ぶらりん

三男二女をもうけた夫婦仲とはいえ性格の相違と生活能力のない事を理由に、夫大島生れ住所不定与島為良さん(51)に見下り半をたたきつけて法廷を賑わした真和志村(当時)安里二区六班同阿嘉さん(41)の離婚訴訟も中央巡裁(中央巡回裁判所)では昨年9月、病弱の夫の身をうれい「1年間の訴訟中止」を下したが、最近夫為良さんが元気で胡差病院を出たということで阿嘉さんはこの程離婚訴訟の再開を申し入れた。中央巡裁では29日午前10時訴訟を受理し公判を開いたが、定刻前に阿嘉さんは法廷につめかけたものの、肝心の夫為良さんが住所不定で通達状が届かず出廷できないため、またも「見下り半」判決を下すことができなかった。阿嘉さんは裁判所に

「あんな夫は死ねばよい。別れることが出来ず迷惑だ。裁判所も夫をかばっている」

と悪罵を浴びせ、大胆な原告の弁に裁判所も手古摺った。

引用:昭和27(1952)年10月7日付琉球新報

次は昭和31(1956)年の琉球新報から火事に関するニュースです。「原因不明」との見出しがありますが、ブログ主は

お前の記事が意味不明

と突っ込まざるを得ませんでした。あと「隣の “おでん屋” 向井ツネ(四九)」の記述も秀逸です。

栄前で一棟焼く原因不明

二十五日ひる四時三十五分ごろ真和志市栄町一班沖縄バス修理工場前、家具職新垣三郎さん(四二)方から出火。いち早く真和志消防隊から大型消防車二台、安謝から一台、那覇から三台、計六台消防車が急行。消火につとめたが、新垣さん方トタン屋一棟を全焼、隣の “おでん屋” 向井ツネさん(四九)方が半焼約三十五坪位を焼いて二十分後に鎮火した。新垣さんの妻カマドさんが井戸で仕事をしていると、いきなりカマドの方から燃え出した。カマドさんの話では、カマドに火はくべてなかつたといつており、原因不明。損害など目下調査中。

引用:昭和31(1956)年10月26日付琉球新報

3つ目は昭和37(1962)年の記事で、当時大きな社会問題になった “少年犯罪” に関する話題です。とりあえず突っ込みは置いといて、当時のヤナワラバーたちのお間抜けぶりをご堪能下さい。

盗みの中学生補導

那覇署は二十六日午後五時すぎ、那覇市末吉町の中学三年生二人を補導した。調べでは同日午後二時半ごろ逃げた友だち三人で、那覇市山川町一の五〇、高原孝清さん(五三)方の裏戸をこじあけてしのび込み、シャープペンシル一本を盗んで室内を物色中に家人に気づかれて逃げたところ、城北小学校の知花清光(二六)先生とバッタリ、派出所につき出されたもの。友だち一人はとりにがした。

引用:昭和37(1962)年1月21日付琉球新報

最後に同日の広告欄に掲載された健康器具についてですが、

全品は大山トルコ風呂に設備されてありますので御来店のうえご覧ください

の注意書きが気になってしょうがありません。

いかがでしょうか。続きは後日のお楽しみで、今回はこれにて記事を終了します。