今回の突っ込まざるを得ないシリーズは、昭和24年から25年にかけて『うるま新報』に掲載された記事をピックアップしました。沖縄戦後のドサクサで社会秩序が混乱していた時期らしく、じわじわくる事件が満載です。秀逸なのがタイトルの付け方で、この点は現代の記者よりも優れているのではと思います。読者のみなさん、ぜひご参照ください。
惨事
生徒の”火遊び” – 崎本部校を焼く 本部町崎本部校三年生仲地安一君(十)(假名)は十三日他家から吸殻とキセル自宅からマツチを持ち出して學校へ行き敎室内で煙草を吸つた後マツチをすつて火を弄び火が●にふれたのでこれを裏壁に投げつけたところかや葺のため炎上 教室八棟 倉庫便所一棟 山羊小屋一棟 机 腰掛五〇〇 農具七〇 山羊二頭を消失した
引用:1949年10月25日付うるま新報
昭和24年のうるま新報からの抜粋です。当時のうるま新報は瀬長亀次郎さんが会社を辞め、池宮城秀意さんが社長に就任して会社を運営した時代です。その影響でしょうか、瀬長さんの時代と違って一目を引くタイトルや記事を配信する傾向があります。だがしかし小学生の煙草の不始末で校舎炎上というふざけた事件は、さすがに当時の社会でもレアケースだったのかもしれません。ブログ主が校長ならばこの小学生をフルボッコにすること間違いないです。
文才を発揮しすぎ
痴漢におそわる 讀谷區安次嶺某女〔一五〕は二十七日楚邊在エンジニア部隊南側塵捨場に薪拾いに行き同行十二名と共に道端に休んでいると一人の米へいが來て女の世話を要求 斷ると午前十一時半頃銃を持つた新手の者が柵を超えて現われ逃げおくれた彼女は遂にかよわき細腕抗することが出來ずあたらつぼみは踏みにじられてしまつた
引用:1950年1月7日付うるま新報
なぜに未成年が被害者の強姦事件をここまで格調高い文章で記事にまとめたのか、こんなところで無駄に文才を発揮するところに当時の新聞社のカオスぶりが伺えます。
いったいどこから
エロ寫眞取締り 那覇市場内でエロ寫眞を販賣している城間ひろ〔三九〕を那覇署員が發見直ちに同寫眞を沒收したが●にも同様エロ寫眞を販賣している模様で風俗を亂すものとして那覇署では一齊に取締りに乘り出すことゝなつた
引用:1950年1月10日付琉球新報
この記事を読んで一番気になったのは”仕入先”で、どうやって良い子が見てはいけない写真を入手したのかが謎です。
容赦なし
春に背いて首をくくる 那覇市十區六組渡慶次秀さん(四〇)方同居人中野某さん(三五)は昨十五日午前七時頃同家裏坐敷で家人の隙にいつ(縊)死した同人は以前渡慶次さん經營の國際劇塲前地球食堂で働いていたが閉店のため無職となつていたもの遺書もないので原因は不明であるが同居人の語る所によれば一萬圓ぐらいの負債があつたからそれを苦にしてだろうと云つているが巷間の噂では仝女は變態的な所があり同性愛の体験があると自ら稱していたからそんなもつれがあつたのではないかとも云つている
引用:1950年4月16日付うるま新報
”春に背いて”というタイトルが実に秀逸でじわじわきます。以前当ブログで紹介した”ピアノ教師”名城某さんの鷄姦事件よりも1年以上前のお話ですので、もしかして中野某さんが”沖縄県人で確認できる初の同性愛者”なのかもしれません。
夏時刻法
きようからサンマー・タイム 猫がネズミをとることも忘れる頃は終り最早サンマータイムでの生活する時期 きようの零時から今年のサンマータイムは實施されじよう時より一時間早くなるわけだから勱にんや學生や奥さん方は朝寢することを心配すべきである
引用:1950年5月6日付うるま新報
当時はサマータイムのことをサンマータイムを称していたことは確認できましたが、「猫がネズミをとることも忘れる頃は終り……」のフレーズがいまいち意味がつかめません。
隠れ家
もぐらの戀は儚し – 地下室に愛のねぐら – もぐるパン〱娘らの巢を發見 地下にねぐらを持つパンパンを見事取り押えた愉快な捕物 – かねて黑人はつ砲事件があつたというのできのう午後二時頃APMPが胡差の俗稱十字路附近を警戒中黑じんへい二名が女三名と遊んでいるのをはつ見、追跡したが何處に雲がくれしたか姿を見失い折柄附近に來合せた胡座署勤務の藤井、文岡兩刑じも應援、捜査に●る一方胡座署からも仝署員が出動物々しい捜査警戒に懸命現場附邊にある畑中の一軒家●原地區字宮里の上間友喜の家が怪しいと家宅捜査を行つたが仲々見付からぬ。ふと藤井刑じが床上に小さい穴があるのを發見指を差し入れて板を引き開けると何と床下には四じようくらいの見事な地下室がこしらえてあり中に黑人へい二名と女一名がひそんでいるのを難なく取押えた。なお同家台所で何くわぬ顏ですましこんでいた他の同類の女二名も検擧黑じんへいはMPへ女はいずれも胡座署で取調べ中パンパン稼ぎも段々こう妙を極めてきたと警察も目をぱちくり
引用:1950年5月25日付うるま新報
タイトルの付け方が秀逸そのものです。地下の四畳半で男女がくんずほぐれず……というシーンを想像するとついニヤニヤしてしまいますが、ただしどうやって”換気”していたのかがすごく気になります。
フーリムン
”女に會わせろ”と警官と張り合い留置場に亂入 – 胡差署で私服MP大暴れ 去る三一日午後九時半頃「シマタクシー」を乘りつけた私服MPバービーと稱する米へいと氏名不詳のサージャンへいの二米へいが泥醉の上胡差署を訪れ「おれはMPだ」と高言し五月二七日の同署のパン〱狩りで検擧され留置中の宮里ヨシ子〔二〇〕に面會を强要當直の喜友名●長は「今署長不在である – 宮里ヨシ子に面會させるわけに行かない」と斷つたがMPの身分證明を提示して腰掛や棒をなげたり二人は散々暴れ留置場内に流れ込む氣配が見えたので當時署におつた警官約十三名が大擧して二人の亂入を阻止につとめ一方示威のためピストルを見せたりしたが効果なく押問答の最中いつの間にかバービーなる私服エンピーはヨシ子の居つた第三房の施錠を外して房内で面會したが約半時間後には米へいは留置塲から引ずり出された同署では早速五二四憲ぺい隊に連絡去る二日當時の事件應援警察官が五二四MP隊に出頭首實檢のうえ二米へいを確認、検擧させた
引用:1950年6月4日付うるま新報
説明不要。MP(軍警察)がこの有様だと、一般米兵たちのやらかしのレベルが容易に想像できます。(終わり)