祖国復帰運動の矛盾 – プロローグ

今年は我が沖縄が本土に復帰して50年の節目の年にあたります。ちなみに恒例の “復帰についてのアンケート” では、毎回 “復帰してよかった” の回答が8割前後を占めることはよく知られています。

にも関わらず、アメリカから日本への “施政権返還” について50年たった今日でも、「はたしてこれでよかったのか」との意見が聞かれるのも事実です。しかも復帰後に生まれた世代ではなく、アメリカ世を経験した60代以上から疑問の声が挙がるのは不思議に思わざるを得ません。

実は本土復帰の恩恵を最もうけたのは、昭和45年(1970)のベビーブーム前後に子供を産んだ世代です。理由はこの年から健康保険制度が施行され、本人だけでなく生まれた子供たちにも政府による手厚いセーフティーネットが提供されるようになったからです。

*昭和45年以前は、医療費は基本実費で、性病や精神病患者など限られた範囲に琉球政府のセーフティーネットが提供される状態でした。

その傍証として令和4年2月18日付沖縄タイムス総合2面に掲載された我部政明氏の論説全文を書き写しました。読者のみなさん、是非ご参照ください。

復帰50年 変わらぬ基地負担

識者評論 我部政明氏(琉球大学名誉教授)

日本政府あるいは政界保守派の人々にとって、沖縄の日本復帰は自分たちの領土を取り戻したという日本外交の成功体験を祝う機会となると同時に、国内のナショナリズムを高揚させる狙いもあるだろう。また広大な米軍基地を抱える沖縄の日本復帰は、日米同盟強化の文脈としても捉えることができ、それを国民に知らしめるために政府は式典を大いに利用するだろう。

そうした発信の場になるならば、県民の立場から見れば基地負担の解消に真摯に向き合わない、要するに県民は置いてけぼりにされたような式典になりかねない。

復帰当時を振り返れば、県民の多くは平和憲法の下に戻ろうとしていた。しかし琉球政府の屋良朝苗主席は、沖縄返還が発表された1969年の日米共同声明の時から、核持ち込みができるのではないかと、復帰の在り方に懸念を表明していた。

基地のない復帰を目指した屋良氏の言葉は50年たった今聞いても色あせない。皮肉だが、50年間、沖縄側が求めてきた基地負担解消は実感として何も変わっていないということだろう。

1879年の琉球併合で沖縄県が設置され、敗戦を経て1972年の日本復帰で再び沖縄県が設置された。日本の他の地域ではこういうことはない。2度の県設置は、日本の中央集権化の流れの中に組み込まれた結果だ。

中央集権の中で沖縄の民意は、沖縄の中に押し込められていないだろうか。1月の名護市長選でも指摘された基地問題についての「諦め感」も、中央集権化が進んだ結果の表れではないだろうか。

復帰50年をお祝いムード一色で捉えるのは、疑問に思わざるを得ない。私たちは沖縄問題に有効性を失っている民主主義の仕組みの中にあることを、いま一度考えなければならない。(国際政治学)

ご存じのとおり沖縄タイムスの購読者は60代以上に偏ってますので、我部教授はそのあたりの空気を読んで執筆したこと間違いありません。ただしこの論説は “みなしの論理” を使っているため、50代以下の沖縄県民には違和感を覚えるかもしれません。そのためブログ主で一部修正を試みました。

【修正版】日本政府あるいは政界保守派の人々にとって、沖縄の日本復帰は自分たちの領土を取り戻したという日本外交の成功体験を祝う機会となると同時に、国内のナショナリズムを高揚させる狙いもあるだろう。また広大な米軍基地を抱える沖縄の日本復帰は、日米同盟強化の文脈としても捉えることができ、それを国民に知らしめるために政府は式典を大いに利用するだろう。

そうした発信の場になるならば、〔一部県民〕の立場から見れば基地負担の解消に真摯に向き合わない、要するに〔我々〕は置いてけぼりにされたような式典になりかねない。

復帰当時を振り返れば、〔革新共闘会議〕の〔支持者〕は平和憲法の下に戻ろうとしていた。しかし琉球政府の屋良朝苗主席は、沖縄返還が発表された1969年の日米共同声明の時から、核持ち込みができるのではないかと、復帰の在り方に懸念を表明していた。

基地のない復帰を目指した屋良氏の言葉は50年たった今聞いても色あせない。皮肉だが、50年間、〔我々〕が求めてきた基地負担解消は実感として何も変わっていないということだろう。

1879年の〔廃藩置県〕で沖縄県が設置され、敗戦を経て1972年の日本復帰で再び沖縄県が設置された。日本の他の地域ではこういうことはない。2度の県設置は、日本の中央集権化の流れの中に組み込まれた結果だ。

中央集権の中で〔我々の意向〕は、沖縄の中に押し込められていないだろうか。1月の名護市長選でも指摘された基地問題についての「諦め感」も、中央集権化が進んだ結果の表れではないだろうか。

復帰50年をお祝いムード一色で捉えるのは、疑問に思わざるを得ない。私たちは(ぼくのかんがえるさいきょうの)沖縄問題に有効性を失っている民主主義の仕組みの中にあることを、いま一度考えなければならない。(国際政治学)

アメリカ世時代を実体験していない世代は原文よりもブログ主が修正した文章のほうがしっくりくるはずです。

毎度毎度のアンケートで8割前後が「復帰してよかった」と答えるにも関わらず、いまだに新聞紙上では「基地問題」の視点から復帰の在り方に疑問を呈する論説が後をたちません。沖縄タイムスの “おとなのじじょう” と言えばそれまでなんですが、実はアメリカ世時代の復帰運動を俯瞰すると、当時を生きた世代の一部が “復帰の在り方” に対して不満を持つ理由が見えてくるのです。次回以降はその点について詳しく言及します。(続く)