今月11日に投開票の令和04年執行沖縄県知事選挙は、残念ながら我が宜野湾から出馬の佐喜眞淳候補が現職の玉城デニー氏に2度目の敗北を喫してしまいました。
だがしかし同日執行の宜野湾市長選挙と市議会議員選挙は保守系の圧勝、特に市長選は史上最大の得票差(1万2千票余り)で現職の松川正則氏が再選を果たす衝撃の結果となりました(伝統的に保革の勢力が半々の宜野湾でこれほどの大差がつくのは異例も異例)。今回は県知事選挙に絞って、ブログ主なりに調子に乗って佐喜眞候補の敗因について言及します。
というか、今回の県知事選挙の分析は極めて容易で、先に行われた第26回参議院議員普通選挙の結果と比較すればいいだけの話なのです。試しに今回の知事選と組み合わせて票を作成しました。是非ご参照ください。
この表を見てお分かりの通り、参議院選挙では0.5%の得票率差が、県知事選では9.7%に開いてしまっています。古謝→佐喜眞の流れでみると、5.3%も得票率がダウンしています。
ということは、参議院選挙時にはなかった「もの」が佐喜眞候補にとって極めてマイナスに働いたことがお分かりかと思われます。ではその「もの」とはなにか、下記のキャプチャー画像を見ると即座に理解できます。
今回の県知事選は、令和04年07月08日の安倍晋三銃撃事件に端を発した旧統一教会系団体と自民党議員とのかかわりに関する報道に、佐喜眞氏が渦中の人物として登場してしまったことが最大の敗因になってしまったのです。
つまり、今回の県知事選はいつの間にか争点が変わってしまったのです。誤解を恐れずにハッキリ言うと、
旧統一教会系団体と付き合いがあった人物が沖縄県知事に相応しいか否か
になってしまい、その結果、女性票(これは自公支持者も含む)が玉城デニー候補に流れてしまったのです。
その傍証に、宜野湾市長に再選した松川正則氏のインタビューを掲載します(令和04年09月11日付沖縄タイムス03面)
ー同じように辺野古容認を打ち出した佐喜眞淳氏が知事選で落選した原因は。
「今後分析するが、知事選に〔ピーーーー〕が立候補した時点で『なぜ保守は一本化できなかったのか』と有権者に嫌気が差してしまったのでは。旧統一教会の問題が全国的に連日報道されたこともあり、二重三重に逆風だったと思う」(ブログ主判断で一部編集済)
だがしかし、マスコミは佐喜眞氏を落選させる意図があって連日報道したわけではありませんし、文句を言ってもしょうがないのです。これは不幸だったと割り切るしかありません。というか、県知事選だけ「不幸」に襲われる佐喜眞さんの政治人生には極めて興味深いものがあります。
*今回の県知事選の結果によって、我が宜野湾出身者は琉球政府初代主席に色気を見せていた桃原茂太(とうばる・しげた)さん以来、なぜか行政のトップには慣れないジンクスが確立した感があります。
だからといって佐喜眞さんに対し、何一つ文句を言うつもりはありません。今回の県知事選挙において佐喜眞陣営は公示日から敗北を覚悟していたと思われますが、候補者本人、ご家族、そして陣営の皆さんは最後まで選挙戦を戦い抜きました。ゼロ打ち確定の絶望的な状況のなかでも勝利を目指して戦う姿にブログ主は静かな感動を覚えました。そして、
ブログ主は佐喜眞さんの挑戦と健闘を宜野湾民として誇りに思う
と、嘉数高台から声を大にして叫びたい心境になりながら、今回のブログをまとめた次第であります(終わり)
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