先日28日に、沖縄県議会が「在沖米海兵隊員による飲酒運転死亡事故に関する意見書」を修正可決しました。米人であろうが沖縄県民であろうが、飲酒運転による死亡事故は極めて悪質であり、県議会がなんらかの抗議決議を可決するのは当然です。だがしかし、この案件と「在沖米海兵隊の早期の国外、県外の移転を求める」こととは別問題です。なぜなら仮に米海兵隊が県外、国外に撤退しても、代わりに沖縄県民が飲酒運転で悪質な事故を起こすからです。
たしか先月23日にも悪質な事例ではありませんが、我が宜野湾市役所の職員が飲酒運転の疑いで現行犯逮捕されました。ただし宜野湾市議会が「市民の安全を守る立場から抗議決議」を採択する動きはありません。よく考えると飲酒運転による検挙は沖縄県民の十八番ではありませんか。厚顔無恥とはまさにこのこと、米人(軍人・軍属)が起こした事件についてメディアあるいは一部の県民は大騒ぎし過ぎなのです。
ブログ主は今回の事件に関して、柏楊(ポーヤン)著の『醜い中国人』の一節を思い出します。
(中略)わが友、孔子先生が、陳蔡(チェンツァイ)という国で腹が減って、死にそうになった。ちょうど近くに飯屋があったので、弟子の仲由に、一杯の残飯をもらいに生かせた。飯屋のおやじは「私が書く字を知っていたら、ただでご馳走しよう」といった。「私は聖人の弟子だ、字なら何でも知っている」と仲由が言うと、そのおやじは「眞」という字を書いた。仲由が「まこと」だと答えると、そのおやじは「おまえは馬鹿だ、インチキだ」といって、彼を追い出した。それを聞いて、今度は孔子先生が飯屋に行った。おやじは、やはり「眞」という字を書いて、孔子に見せた。孔子先生は「これは真八(しんはち)と読むのだ」と答えた。するとおやじは「あなたは名高い先生だ。あなたの学識はすばらしい」といって、二人にご馳走してくれた。仲由はそっと、「先生、なぜ眞が直八になるのですか」と孔子に尋ねた。すると孔子先生は言った。「由よ、今は眞が通る時代ではない。眞実を通そうとすれば、餓死するしかないだろう」
飲酒運転という同一案件でも政治利用できると判断したら大袈裟に取り上げ、利用できないとわかったら触れないでおく態度はまさに孔子先生の唱える「直八」ではありませんか。しかも北朝鮮の核開発およびミサイル問題で、東アジア情勢がキナ臭くなっているときに、「在沖米海兵隊の早期の国外、県外の移転を求める」決議を可決したセンスには絶句せざるを得ません。現在は孔子の時代とは違って餓死することはありませんが、「直八の発想」で政治を運営するのはいいかげん辞めてもらいたい。
柏楊先生は「孔子先生を再び嘆かしてはいけない。直八時代は、地獄の底で死なせるべきだ」と記載していますが、まさにおっしゃる通りです。そして現在の沖縄の為政者たちがこういうセンスだから、わが沖縄が全国ダントツナンバー1の飲酒運転県なんだと妙に納得しつつ、今回の記事を終えます。
【関連リンクサイト】
平成29年第6回議会(定例会)で可決された意見書・決議(11月28日議決分)
http://www.pref.okinawa.jp/site/gikai/documents/insyuuntennkougiketugi.pdf