これほど OneNote に書き写したコラムはない。「米軍由来」「権力批判」そして「ファクトチェック」のマウント。ページの余白が写本で埋まった。そう、沖縄タイムス社所属の阿部岳記者が毎週執筆する “大弦小弦” のことですが、読者もご存じの通りたびたび当ブログで突っ込み記事を配信してきました。
今月18日付沖縄タイムス1面に掲載された “大弦小弦” も相変わらずのテンプレコラムで、ブログ主の(鬼畜)好奇心がくすぐられるに足る内容でしたので、全文を紹介します。読者のみなさん、是非ご参照ください。
これほど書き込みをしながら読んだ本はない。「矛盾」「立証がない」。ページの余白が文字で埋まった。ベストセラー「沖縄から貧困がなくならない本当の理由」(樋口耕太郎著)。
▷2年近く前の本を遅まきながら読んだのは、今も売れ続けているから。本書が説くような自己責任論を、政府も沖縄振興で打ち出すようになった。
▷本書は畳みかけるように沖縄の問題点を示すデータを列挙する。1つ1つファクトチェックしてみると、多数の誤りが紛れていた。後は著者の体験談や雑感が並ぶ。
▷それらを根拠に沖縄の特殊性が強調され、貧困は人々の「自尊心の低さ」が原因だということになる。そうかと思うと、唐突に「これは日本の問題でもある」と議論が拡散し、自己啓発本のような内容で終わる。
▷世界、日本、沖縄という序列が描かれる。沖縄は、日本が世界に恥じないように振る舞うための研究材料として利用される。そこには確かに、沖縄を見下す視線と差別を助長する効果がある。そんな本が、沖縄で売れている。なぜなのか、いろいろな人に聞いてみたが、よく分からない。
▷これだけは言えそうだ。沖縄の貧困は基地集中をはじめ、日本による歴史的な差別に端を発する。構造ではなく沖縄側の心の問題に原因を求める本書を読んで、貧困が解消することは、まずない。(阿部岳)
引用:令和4年4月18日付沖縄タイムス1面
このコラムも “これほど書き込みをしながら読んだ本はない” とのキャッチフレーズから始まって、樋口耕太郎著「沖縄から貧困がなくならない本当の理由」の問題点を(阿部氏なりに)簡潔明瞭に指摘、そして “差別” に紐づけた上で、最後は “構造ではなく沖縄側の心の問題に原因を求める本書を読んで、貧困が解消することは、まずない” とのオチで〆てます。
ここでブログ主がこのコラムのファクトチェックを試みると “沖縄の貧困は基地集中をはじめ、日本による歴史的な差別に端を発する” の部分は明らかに誤りです。参考までに、経済的に沖縄が困窮したのは慶長14年(1609)の薩摩入りによって、当時の支配者である尚家をはじめ王族が敗戦のツケを支配下住民に負わせたことに端を発します。
廃藩置県以前のりうきうは史料ベースで確認できる限り2度の “経済崩壊” を経験しています。一つが尚貞王即位41年目の1709年に発生した丑年の大飢饉、もう一つが尚泰王14年の1861年から始まった文替わり(薩摩藩の命令によるハイパーインフレ政策)です。
丑年の大飢饉は文字通り自然災害、にもかかわらず王府は首里城再建や冊封を断行し、支配下住民に過重な負担を押し付けます。ハッキリいってこの時点でりうきう経済は回復不能のダメージを負ったわけですが、文替わりの時も王府は尚泰王の冊封を強行して、りうきう経済2度目の壊滅に導きます。
つまり災害や薩摩藩の無理難題に際し、王家の存続を最優先にした結果、民間経済を瀕死の状態に追い込んだわけで、特に1861年から68年に至る文替わり政策のダメージは深刻であり、その影響は大日本帝国時代にまで及んでしまったのです。
だから、沖縄の貧困は “王家存続のために民間に過重な負担を強いた” ことが原点かつ主因であり “日本による歴史的な差別” の記述は明らかに事実に反します。
ちなみにりうきうは昭和20年(1945)の沖縄戦で3度目の “経済崩壊”を経験しますが、米国民政府と琉球政府の “二重政府” という差別構造あったアメリカ世時代に歴史上最大の経済成長を成し遂げた事実は、明らかに上記コラムの主張と矛盾します。昭和43年(1968)の沖縄と本土のGDP格差は西銘順治さんの証言によると、日本が100とすれば沖縄は57で、これは沖縄戦後の惨状を鑑みると驚異的な成績なのです。
つまり今回の “テンプレ芸” はファクトチェック・マウントを仕掛ける側が自筆のコラムで堂々と
知識&勉強不足
を披露してるわけであり、ハッキリ言って沖縄の言論界にとって好ましいことではありません。そして今回のコラムを読み通してブログ主が痛感したのが、
目クソ鼻くそを笑うとはまさにこのことだ
と〆て今回の記事を終えます。