【急募】琉球藩の二枚舌交渉を擁護する方法 – その4

前回の記事で簡単ながら明治政府と琉球藩との国家間の違いについて説明しました。これだけ認識の違いがあると交渉がすれ違いになるのもしょうがない部分はありますが、それでもやってはいけないことはあります。

明治政府による琉球藩への行政命令(御達書)の中の清国との関係断絶に関して、同年9月4日に琉球藩王尚泰の署名付の公式回答を紹介しますが、これは前回記事で紹介した同年9月3日の回答の斜め上をいく酷い内容となっていますので読者のみなさん心してご参照ください。

當藩支那との事件段々願申上候得共御採用無御座此儘直に奉畏候樣にも難仕至極及當惑居申候右に付乍恐政府へ成行辯解の爲め官吏上京させ申度御座候間御許容被下度所仰御座候也

明治八年九月四日(舊八月五日) 琉球藩王 尚泰

内務大丞 松田道之殿

引用:喜舎場朝賢著『琉球見聞録』94㌻より抜粋

読み下し文は以下参照ください。

当藩支那(清国)との事件段々願い申上げそうらえども、御採用ござなく此の儘直に畏(かしこ)みたてまつりそうろう様にも仕り難く至極及び当惑居申しそうろう、右に付おそれながら政府へ成り行き弁解の為官吏上京させ申したくござそうろう間御許容下されたく所仰ぎござそうろう也

この回答に対して松田道之は怒りを通して呆れた感じで次のように返答しています。

此件聽許す可らざることは過日來屢説明する所にして貴下及び藩吏に於ても能く領解せらるる所なり然るに今猶ほ此言あるは前日の事は宛も忘却せられたるものの如し實に其靦面なる亦甚し故に今亦喋々愚陳を費すを要せずと雖も此晝に對し亦答へざるを得ず依て猶一二言を述んとす抑も拙者は不肖なりと雖も政府の命を奉じたる委員なり其奉命委員に於て藩情を審案し遂に其歎願の旨趣不條理なりと視認め之を聽許せざるに其委員を措て直に政府に辯論せんとするは是委員を辱かしめ則ち政府を辱かしむるなり之を他国に對するものに譬ふるに他の一國より委員の使節を遣るに其使節を措き直に其政府に向て談判せんことを論じて其使節を辱かしむるも同一にして他國は則ち戰を以て之を問ふべし我政府は則ち法を以て之を問ふべきなり假令今拙者之を聽許して藩吏を上京せしむるも政府豈に委員たる拙者を措き直に藩吏の辯解を聞かんや夫れ如此不條理なる書面の旨趣は拙者決して聽許せず是之を直に擯斥する所以なり依て事今日に至らば只奉否の二つあるのみ乞ふ速に決定せられよ

明治八年九月四日於首里城中 内務大丞 松田道之

琉球藩王 尚泰殿

引用:喜舎場朝賢著『琉球見聞録』94~95㌻より抜粋

意訳すると「この件は許可しないこと前回に説明ずみも今更持ち出してくるとは厚かましいにも程がある。いまさら説明する必要ないとは思うが、拙者(松田)は仮にも政府から委任された委員(交渉人)であって、それを差し置いて直に政府に弁論するとは拙者をメンツをつぶし即ち政府を辱めることに等しい。仮に拙者が許しても政府に対して直に弁論しても(政府が嘆願を)聞いてくれると思うのか?拙者はこのような不条理な書面は決して許可しないし、今後はただ(御達書を)受けるか拒否するか、速やかに決定せよ」になりましょうか。琉球藩側は言葉遣いこそ低姿勢ではありますが、「お前では話が通らないから、上の者を出せ」と主張しているのと同じです。これはすなわち

クレーマーの論理そのもの

なのです。

ブログ主はこの件を読むたびに書物を地面に投げ捨てたい気分になりますし、このような慇懃無礼な相手に松田道之さんは辛抱強く対応しているなと感心せざるを得ません。そして官僚のレベルがあまりにも違いすぎるので、尚家が滅亡したのも無理はないと思う次第であります(続く)。