琉球新報の “堕落” に心を痛める日々 – その2

(続き)今月4月19日付琉球新報“金口木舌”に関して、前回の記事で2つの問題点指摘し、そのうちの1つについてはくわしく説明しました。今回はもうひとつの問題点である”政治家の責任”について言及します。

19日の伊是名夏子女史に関する琉球新報の記事を閲覧して印象的なのは、彼女のことを一貫してコラムニストとして扱っていることです。ご存じのとおり彼女はコラムニストだけではなく、社会民主党常任幹事の肩書もあります。事実令和3年2月22日付琉球新報DIGITALでは

「ママは身長100cm」コラムニスト伊是名氏、社民党常任幹事に 沖縄平和運動・山城氏も”との題字で彼女が社民党常任幹事に就任した件を報道しています。つまり彼女は社会民主党からコラムニストではなく“政治家”としての役割を期待されているのであって、具体的には彼女の言動には政治家としての結果責任が生じます。

以前当ブログで詳しく言及しましたが、政治家の責任とは“結果責任”であり、ある行為に対して生じた結果を厳しく問われる立場にあります。“結果がすべて”と言い切っても過言ではありませんが、ただしこの命題の対偶を取ると“主義・主張や過程が立派であっても、結果が生じなければアウト”になります。

今回の伊是名女史の言動は、言い換えると“そんなつもりではなかった案件”ですが、それだと残念ながら政治家としては失格なのです。彼女はおそらくコラムニストの認識で今回の行動に及んだのではないかと推察されますが、結果が生じるどころかネット上で炎上騒ぎを起こしてしまい、社民党に迷惑を掛けてしまいました。この点については彼女と党の問題であり当ブログではこれ以上言及しません。

今回の案件でブログ主が重大視しているのが、日ごろ権力の監視をお題目にしている既存マスコミが、彼女の政治家の責任を厳しく追及していない点です。沖縄タイムスに関してはこの案件は(確認できる限り)完全スルーですし、琉球新報はコラムニストとしての彼女の言動を評価しています。意地悪い表現をすれば“弱小政党で社会的弱者(障がい者)かつ身内であれば政治家の結果責任はまぬがれる”とでも考えているのでしょうか。それだと社会民主党を頗る馬鹿にしていると思わざるを得ません。

政治家は結果責任を問われる立場にあります。しかも近代デモクラシーの政治形態は“形式性と適法性”を厳しく要求されるため政治家の責務はますます重くなっています。それ故に誤った方向に導かないよう常に権力を監視せざるを得ず、そしてその一翼を担っているのが既存マスコミなのです。つまり自民党や官邸の動きだけを監視するだけでは失格であり、政治に携わる者の言動に対しては日ごろからチェックし、結果が生じなかった場合は厳しく指摘する責務が既存マスコミにはあるのです。

だからこそ今回の騒動に対する琉球新報の記事を閲覧したブログ主は、前回の記事で金口木舌について“0点以下の駄文以外何物でもありません”と断言したのであり、ここまで露骨に身内かばいの記事を掲載したことについて、ブログ主は

お前らに権力を監視する資格はない

と確信せざるを得ませんでした。そしてこの手の記事を読まされる購読者が気の毒であると痛感して今回の記事を終えます。