県内各地で暴力団排除の市民運動が展開されているなかで9日未明、沖縄市上地のスナックで県内最大の組織暴力団、二代目旭琉会の多和田真山会長(49)が2発の銃弾で倒された。同射殺事件は、犯人2人の20時間ぶりの逮捕によって一応の決着がついたかにみえる。しかし、過去の暴力団抗争が示すように、この世界は「目には目を、歯には歯を」の世界。いつ何時、血で血を洗う抗争が再燃するか、予断を許さない。
組織の強化を図る / 組内に反発の動きあった
県警では、犯人の動機、事件の背景解明を最大の捜査方針にしているが、こうした”二次抗争”の防止にも厳戒体制で臨んでいる。
二代目旭琉会は組員数約730人。本家以下、十四一家で構成されており、単一組織としては日本最大の組織暴力団である。多和田会長が二代目に就任して以来、「抜群の統率力」(ある捜査員)を発揮して組織の強化を推し進める。その表れが一家総長制度や上納金制度、さらに今回の事件の引き金になった島割り制である。
いずれも多和田会長と以前から親交のあった関東の暴力団稲川会をまねたものだが、これら諸制度の性急な導入が事件の引き金になった形。
島割りとは、本島を14の地区に分けて、それぞれを各一家が管理しようというもの。目的はもちろん、島(シマ)内からの縄張り料などの徴収による資金源の確保。これまでは、一家の「島」というものはなく、それぞれが好き勝手に自分たちの縄張りを作っていた。ある捜査員は「多和田は本土の暴力団(稲川会)がうらやましかったのではないか。総長制や上納金制度で収入の安定を図ったのもそのためだ。その仕上げが島割り」と話す。つまり、総長制や島割りで組織の強化を図った上で、上納金によって自らの地位の安定を強固にする – という訳だ。
多和田会長らが島割り制の導入を明らかにしたのは、今年初めの旭琉会の理事会。ところが、これに不満を表明した総長らもいた。いわゆる反主流派の言い分は、「今のままでどこがいけないのか。十分共存していける。改めて『島』を決める必要はない」というものだった。さらに、反主流派の「島」割りに反対する理由として対警察の問題もあった。つまり、トラブルがあった際、島が決まっているとすぐにそこの一家の仕業とわかる – ということになる。
しかし、反主流派が反対する理由は別にもあった。そのうちの総長の1人は旭琉会の中でも最も資金が豊富だとされている。不動産業や金融業、飲食業などに幅広く手を出しているからだ。しかし、新しい島が決まると、これまでの活動を大幅に制限されることになる。さらに、繁華街を「島」に持つのと住宅街では、資金源としては大きな差が出る。
実際に、新しい島割りが決定したことで、その総長の「島」は以前と比べて”うまみ”はかなり少なくなったという。その一家は那覇市の前島、浦添市の牧港、沖縄市の中の町など、繁華街を縄張りとしていた。それが今回の線引きでかなり削られたようだ。実際に事務所を移転した所もある。
理事会の雰囲気は「島」割り導入には否定的だった、という。しかし、「会長があれほど強く主張するから」と、結局は押し切られる形となった。多和田会長が組織の”本土化”を狙って強引に導入した制度が、結局は命取りになってしまった – 。(昭和57年10月11日付琉球新報15面)
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