先日7日に保育園に米軍の部品と思わしき円筒が落下した事件があり、12日現在ネット上でちょっとした騒ぎになっています。
保育園に円筒落下 – 米軍の部品か – 沖縄、けが人なし
2017年12月07日 11;47 沖縄タイムス電子版
7日午前10時20分ごろ、沖縄県宜野湾市野嵩2丁目の普天間バプテスト教会付属緑ヶ丘保育園の屋上に、ガラス製とみられる円筒が落下した。円筒には「FLIGHT REMOVE」と英語表記のラベルがあり、米軍機から落下した可能性がある。
円筒は高さ15センチほどで直径10センチほど。8人ほどの1歳児が遊んでいた部屋で屋上から「ドン」という音が響き職員が確認した。落下した物体は熱を帯び、焼けたような臭いがしたという。けが人はいない。
保育園は米軍普天間飛行場の野嵩ゲートから東側約300メートルの住宅地にあり、落下当時62人の園児と職員11人がいた。
神谷武宏園長は「屋上で落下物に近づくと熱のもわっとした感じがあった。園庭では子どもたちが遊んでいた。一歩間違えれば大変なことになる」と恐怖を語った。
この事件に関しては、ネット上で自作自演説が浮上し、Facebook上で画像を投稿した金井創氏が該当ページを削除したことで炎上騒ぎに発展しています(下図参照)。
ブログ主はこの事件の一連の流れを追っているうちに、なぜか拍楊氏(ポーヤン)著 – 『醜い中国人』に記載されていた一節を思い出しました(下記参照)。
イエス・キリストは、十字架に釘打たれているときにこう言った。
「彼らを許したまえ。彼らは自分たちのやっていることさえも知らないのだ」
若いときは、この言葉はまるでオナラと思った。中年のときは、この言葉は一理はあるけども力がないと思った。今は年をとって、この言葉は非常に痛々しい言葉であると思う。まるで紅衛兵たちだ。自分の犯した過ちを知らないで、逆に自分が正しいと思っている。(拍楊著 – 『醜い中国人』 – 81㌻からの抜粋)
拍楊氏が引用している「彼らを許したまえ。彼らは自分たちのやっていることさえも知らないのだ」の一文は、新約聖書のルカの福音書 34節からの引用です。ちなみに該当箇所も抜粋しましたのでご参照ください。
ほかにもふたりの犯罪人が、イエスとともに死刑にされるために、引かれていった。「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、「ユダヤ人の王なら、自分を救え。」と言った。「これはユダヤ人の王。」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と言った。ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(日本聖書刊行会 – ルカの福音書123㌻ – 32節から43節まで抜粋)
ブログ主はクリスチャンではありませんが、キリスト教徒ならルカの福音書に記載されたように「許してやってもいいんじゃないか?」と思った次第であります。そしてこの事件で騒ぎ立てている人々を見ていると、「彼らを許してやろう、彼等は何をしているのか自分でわからないから」という心境になってしまうのは気のせいでしょうか。今回の事件が自作自演か否かは、正直なところ「神のみぞ知る」でしょうが、今後この事件が基地反対派や反戦平和活動家にとって「なかったことにされる」ことだけは容易に予想できます(終わり)。
【補足】この案件は有耶無耶にされるどころか、同月13日に米軍ヘリからホントに部品が落下したため、引っ込みがつかない状態になってしまった感があります。(令和05年12月07日追記)
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