今月25日、タレントの羽賀研二が「うその登記」の疑いで(4年ぶり)3度目の逮捕のニュースが報じられていました。羽賀研二のやらかしに関しては「またか(呆)」という感情しか湧きませんが、せっかくなので今回はブログ主が所持するりうきう犯罪史のレジェンドたちの “格子園出場” の軌跡をまとめてみました。B級ネタが好きな読者のみなさん、是非ご参照ください。
※なお、今回取り上げる事件の詳細は、後日改めて紹介します。
野原光輝
大正2年(1913)1月19日、沖縄県知事日比重明の「失政」に憤った26歳の青年が、泉崎の県庁に放火した事件であり、明治12年(1879)に沖縄県が設置されてから令和の今日にいたるまで、唯一の県庁放火事件でもあります。そして彼は「放火犯野原光輝」の称号を得て初の格子園出場(懲役10年)を果たします。
多和田真山
昭和37(1962)年7月29日未明、那覇市桜坂のクラブ・グリーンで兄貴分である安富登を刺殺した事件の加害者であり、ちなみに彼は事件直後に「俺も男だ」と叫んで出場辞退(割腹自殺)を試みますが、奇跡的に回復、翌38年8月29日に初の格子園出場(懲役20年)を果たします。
岸本嘉雄
昭和43年(1968)7月5日、琉球銀行若松支店を襲い短銃で女子行員を負傷させた上、現金5万ドルを強奪した事件の主犯。この事件は歴史上初の「銀行強盗事件」かつ現役の弁護士が主犯ということで、当時の社会を騒然とさせた犯罪史上に残る大事件です。なお主犯の岸本は昭和44年(1969)4月15日に初の格子園出場(懲役13年)を果たします。
ちなみに彼は出所後に詐欺事件で逮捕され、二度目の格子園出場を果たしています。
ジェームス・M・ドイル
復帰直後の昭和47年(1972)12月1日、コザ市胡屋(現沖縄市胡屋)の「ゴヤ大衆サウナバス」にてサウナ嬢を殺害した主犯。復帰直後に立て続けにおこった米軍人・軍属の凶悪犯罪に対し、沖縄県民は激昂。なお彼は昭和49年10月に初の格子園出場(無期懲役)を果たします。
安田幸行
初公開。りうきう犯罪史のキング・オブ・レジェンド。昭和44年(1969)2月28日、北中城屋宜原で発生した少女誘拐殺人・強姦事件の主犯。佐木隆三著「偉大なる祖国アメリカ」のモデルでも知られる日琉ハーフの青年が起こした猟奇犯罪に全りうきうが震撼。昭和48年(1948)5月、彼は初のそして格子園永久出場(無期懲役)を果たします。
いかがでしょうか。りうきう犯罪史において羽賀研二や喜納昌吉がちっぽけな存在であることがご理解いただけると幸いです(終わり)