同じ水も牛が飲めば乳となり蛇が飲めば毒となる。旅行もまたその場所により人に依りて益ともなり害ともなるあらん。あヽ余は今度の旅行ほど利益ありし旅行は過去を尋ねても、はたまた将来に於てもそを求むるに難きことヽ思ふ。
それ少し心をとめて旅行すれば、狭き沖縄に於ても色々感あるにあらずや。況(ま)して我が国と赴きを異にしたる大陸〔にして〕世界歴史にも特筆大書せらるべき日露戦争の舞台となりし所、かつ我が国と密接の関係ある満韓の地を跋渉(ばっしょう)したるに於てをや。勿論我らには有形的よりも寧ろ無形的、即ち精神的の感深く脳裏に印象せられたり。これを僅か三寸の舌もて短時間に話し、また拙(つたな)き筆もて〔狭〕き紙上に書き尽さんことは全く不可能なり。故に只(ただ)所感の片々を頂を追ふて物せん。
◎満洲の原野 汽車は実直●平なる高粱(こうりゃん)の間を縫ふて走り行く(本国は何処行くにも大抵トンネルあれど満州にては一つもなし)。あヽその心地よさ今に忘れ難し。貨車の窓より外を望めば何たる壮観なり。原野茫々(ぼうぼう)として際限なくその間悉く高粱(少々粟大豆などあり)を以て飾られ青々(せいせい)として波を起す状なんとなく身別天地にある心地して愉快極りなし。日も高粱より出て高粱に入る。ああ斯る壮大なる景色は本国に於て決して見ること能ざるなり。況(いわん)や沖縄に於てをや。
◎農業 地面は甚だ広大にして、際限なく植付けられたる諸作物の間にはなお雑草生(お)ひ繁りたる荒地あるを見る。満州の地面は肥沃なり。然れども彼等は捨(すて)るも荒(あら)〔すも〕少しも気にせざるなり。これ土地広大にして人家少きことを証するなり。地価非常に安く一坪僅に四五銭に過ぎず、六反百五十円にて中等以上の地面を購(あか)ふことを得べしと〔云ふ〕。耕作は總(すべ)て牛馬を使用せり、所謂大農法なり。彼等農夫の財産は牛馬の多少に依りて知るを得べく、彼等は大抵四五疋を有せりと〔云ふ〕。余は本県より〔移民先として〕布哇(ハワイ)に行くを喜ぶものなり。然れども遠き布哇に行かんよりは寧ろ満韓の地に行かんことを勧むるものなり。
◎河 満韓は大河多く従って長橋多し。明治橋(南北合せて)の如きは珍らしからず。大抵舟行(しゅうこう)の便ありて遼河(りょうが)の如きは殊に多く、鉄嶺(てつれい)近辺に “馬峰講” と云ふ商業地ありて営口(えいこう)との往来いと繁く大豆の集合地たり。此処を上下するジヤンクは往々汽船と競争をなす由(よし)。平素水濁りて水巾狭けれども、一朝洪水あるや河一面水となり見る〔見る〕大海と化すよし。先日遼河の洪水に水巾四十二溝里(我が約七里)に及びたり。実に驚くべきにあらずや。此等の河は冬に至れば氷つて人馬の氷上を往来するよし。
◎家屋 支那人の家は大きく且つ美麗に飾りたるならんと想像したれど、豈に計らんや我が沖縄の家にも劣〔れ〕り。田舎等に至つては殆んど穴と〔変ら〕ざるものあり(家の近辺に豚も群集して遊び居れり)。支那人の町は非常に臭く且つ不潔なり。都会には立派なる家あり。然れども皆空気の流通不充分なり。これに記し置かざるべからざることは、穴の如き家にも家長の室には虎皮の如きものを敷き立派なる時計さへ飾れり。これ彼等が金を持てる証拠なり。如何なる故に斯くの如く小なる家に苦しき生活をなすや、これ全く馬賊の来襲を恐るゝを以てなり。大なる家は即ち目標となればなり。彼等は銀行預金の道を知らざるなり、否支那には完全なる銀行があらざるなり。加ふるに政府の権利薄弱にして彼等の生命財産等の保護全からざるなり。故に彼等は己れの生命を保護するために金を儲けこれを蔵(ぞう)すに苦心するなり。彼等は床下に穴を掘り、或は壁に巧みに之を蔵すといふ。
◎森林 遼東半島には一本も生ひたる樹木なく、悉く禿山にして水気なく至つて殺風景なり。内地に至りても〔樹木は〕極(ご)く少(すくな)く大なる森林とては全くなく、たま〔たま〕あるも並木の立てたるが如くすき通りて端より端まで見渡さるる様に仕立てたり。これ又馬賊の巣窟とならんことを恐れてなり。支那政府は森林に税を掛け居るよし。これ等によりて清国の官民共は如何に馬賊を恐れて居るかを知らるべし。
◎牧畜 牧畜の業盛(さかん)にして、この茫々たる原野に数多(あまた)の牛馬羊豚など飼ひたり。日露戦争に惨状を極めし跡、今は土人が騾馬驢馬(らば・ろば)に乗(のり)て往来し、羊飼ひが羊を逐ふなど平和を現ずるにあらずや(明治39年9月20日付琉球新報1面)