今回は現時点でブログ主が想定している沖縄県民の分類について言及します。歴史ブログを運営して3年弱、配信記事も600を超え、その過程でいくつかの”気づき”がありましたので、その点を踏まえながら誰にでもできる簡単な分類方法を説明します。
なぜこのようなことを思いついたのか。それは従来の保守革新や、右・左といった仕分けだけではもはや現実を理解することはできないと判断したからです。沖縄県民の底流には”現実主義”があり、その中でどのように区分けすることが可能か、この点に着目してブログ主なりに仮説を立ててみました。読者のみなさんぜひご参照ください。
世代間で分類する方法
すでに当ブログで試みていますが、世代間で仕分けする方法は非常に有効です。すなわち昭和25年(昭和25年)前後に誕生した世代を中心とした戦後世代、昭和45年(1970年)前後に誕生した復帰世代、そして平成3年(1991年)のソビエト崩壊前後に誕生した平成世代という分類方法です。
この分類の優れているところは、世代間で受けた教育やそれに伴う社会的な雰囲気が明確に区別できることです。具体的には沖縄戦後の社会秩序の崩壊と再構築を経験した戦後世代、復帰後のヤマト世の教育の恩恵を最も受け、かつアメリカ世の社会的雰囲気も理解できる復帰世代、そして日本の中の”うちなーんちゅ”としてアイデンティティを確立した平成世代、大雑把ではありますがこのように見做しても誤りではありません。
つまり世代間で共有する思想・信条が一番理解しやすい分類法なのです。それゆえにブログ主もこの方法をメインにして現在の沖縄社会についてあれこれ考えて記事を配信してます。ちなみに現在の沖縄社会は戦後世代の思想・信条がまだまだ優勢な情勢ですので、なかなか世代交代がうまくいかないもどかしい状況とも言えるのではないでしょうか。
第二次世界大戦の敗戦国民か、あるいは冷戦の戦勝国民か
現在の沖縄県民を理解する上で、第二次世界大戦の敗戦国民としての意識を持っているのか、それとも冷戦に勝利に貢献した認識があるのかを見定めるのは極めて重要です。ソ連が健在だった昭和の時代は「我々は第二次世界大戦の敗戦国民である」という認識が一般的で、しかも沖縄は昭和 47 年5月までアメリカの施政権下ゆえに他府県民に比べても敗戦意識による“劣等感“が非常に強かったといえます。
ただし平成3年(1991年)にソビエトが崩壊すると状況が一変します。具体的にはソ連崩壊より欧州で冷戦が終結することで、国際社会における日本の地位が第二次世界大戦の敗戦国から冷戦の戦勝国という立場に変わります。それに伴い沖縄社会にも徐々にではありますが「冷戦の勝利に貢献した」との意識が浸透してきます。いわば昭和世代が抱えていた劣等感に悩まされることがなくなったのです。
この点は極めて重要で、後述する平等意識の有無と深い関係を有します。そして軍事に関する意識が激変します。具体的には沖縄戦の負の遺産であり、そして敗北の象徴であった在沖米軍の存在が、冷戦勝利の立役者として徐々に認識されるようになったのです。
それに伴い自衛隊に対する県民感情も著しく変化します。憲法違反の象徴として忌み嫌われてきた存在から、東アジアの平和と安定を守るための必要不可欠な組織として認識されます。復帰当初は激烈だった反自衛隊闘争が平成の時代にはまったく盛り上がらなくなった事実からも、自衛隊に対する認識が大きく変わったことを実感できます。
戦争の敗者か、あるいは勝者か、どちらの認識を持っているかは実際に接してみないとわかりません。ただし現在の社会秩序に対して何らかのコンプレックスを抱えているように感じたら、その人は敗戦意識のほうが強いと判断してもいいかもしれません。一番やっかいなのが“日本は第二次大戦の敗者でなければならない”と考えている輩で、必要以上に特定アジア三国(中華人民共和国、大韓民国、朝鮮人民民主共和国)に迎合する人たちがこれに該当します。彼らはは本人が気が付かないまま、回復不能なまでに劣等感を拗らせいる恐れがありますので、可能な限り相手にしないことをおすすめします。
沖縄は差別されているのか、あるいはもはや本土と対等なのか
アメリカ世あるいは復帰直後の新聞史料を参照すると、「われわれこそ差別されている」「沖縄の特殊事情」という文句が散見されます。琉球・沖縄の歴史を振り返るとそのように思うのもやむを得ない気はしますが、実はこれらの語句には「だからわれわれを特別扱いしてほしい」という願望が見え隠れしています。昭和の時代は本土の政治家たちがその辺りの心境を察知し、そして復帰後の県政を上手にサポートしてきました。
ただし本土復帰から50年近く経過し、もはや対等という意識が社会全体に強まるなか、「われわれはずっと差別されてきた」という感情は未来の足枷になりかねません。ちなみに平成生まれの世代は本土との対等意識が非常に強く、「もはや特別扱いは不要」と考えている節があります。おそらくこの認識はアメリカ世を経験した世代には理解しがたいものがあるのではないでしょうか。
本土に対して被差別意識が強いのか、あるいは対等意識のほうが優勢なのかも実際に会って見ないと分からない部分はありますが、会話の節々に「特別扱いしてほしい」との願望が見え隠れしたら、その人は「沖縄は差別されつづけている」という観念の持ち主と見做してもかまいません。具体的には普天間基地の辺野古移設に反対している活動家たちは本土に対する被差別意識が非常に強いです。
一番厄介なのが、一部の沖縄県民の抱える被差別意識あるいは劣等感につけこむことによって、所属する団体や個人の支持拡大をもくろむ県外出身者の存在です。ブログ主はこういう連中こそ真に沖縄県民を差別してると判断しています。
理想的な”うちなーんちゅ”は存在しない
以上大まかではありますが、これらの3つの分類法をうまく活用して上手に沖縄県民と付き合うことを切に願います。他府県人が沖縄県民を嫌いになる理由のひとつに、沖縄県民の底流にある現実主義や被差別意識から生じる「特別扱いの願望」に気が付くことで、従来の”平和を愛する”だの”ゆいまーる”だの”理想的うちなーんちゅ”の幻想が崩れ去ることによるショックがあります。
よくよく考えると、理想的な”うちなーんちゅ”は現実には存在しません。あくまで書籍やメディアなどが喧伝するイメージですので、その枠内で現実の沖縄県民と付き合うとボロがでます。とくに”平和を愛する”なんて嘘っぱちもいいところで、琉球・沖縄の歴史において住民たちはいかに現実に即応できるかを考えて生き抜いてきたのです。今回提示した方法によって、読者の沖縄県民を理解する手助けになれば、ブログ主にとってこれにまさる喜びはありません。(終わり)