今回は参考までに、昭和23年(1948年)7月1日付の沖縄タイムス創刊号1面の記事を紹介します。旧沖縄新報(大東亜戦争時の一県一紙統合政策によって誕生した新聞社)の社員が中心になり、そして米軍政府の発行許可を得て「沖縄タイムス」は誕生します。そのときの創刊号の記事を見ると、ブログ主からみて極めて興味深かったのが
1.米軍政府関係者の「創刊の祝辞」が上、沖縄民政府知事および沖縄タイムス社長の祝辞が下に配置されていること。
2.年号が使用されていないこと。
になります。特に紙面レイアウトで米国軍政府の祝辞を上に配置したあたりに、当時の社会状況を察することができます。当時社長だった高嶺朝光さんの著書『新聞五十年』の証言を参照すると
沖縄民政府への批判とは別に、沖縄民政府の後に控えている米軍政府(米国民政府)に対しては、そのころ公然と批判を向けるものはいなかった。沖縄戦後の救済者というイメージが延長され、批判をためらう空気と、支配者へのおそれといったものがあった。
私たちも、内心では米軍を批判しながら、用心しつつ記事を書いた。書きながら相手の出方を見ながら、一歩一歩、報道の自由を確かめていくというのが実情であった。
引用:高嶺朝光著『新聞五十年』 386㌻ 参照
とあり、当時の新聞人たちの苦悩を伺うことができます。つい数年前までは「大日本帝国万歳」を叫び、新聞再刊の際には「米軍のヒューマニズム」を喧伝するあたり、現代人から見ると”節操がない”と思わざるを得ません。だがしかし、当時はそんなこと誰も気にしませんでした。終生気にしていたのは大政翼賛会に参加していたことを(親族ですら)公にしなかった瀬長亀次郎さんぐらいです。
ここから先はブログ主が書き写した沖縄タイムス創刊号の祝辞の一部を掲載します。読者の皆さん、是非ご参照ください。
沖縄再建の重大使命 – 軍民両政府の命令政策を伝達、国際及び地方の情報を報道せよ
軍政府副長官 W.H.グレイグ大佐 余は沖縄タイムスの創刊に当り同社員に対して祝意を述べる。沖縄に於ける第二番目の有力なる新聞が発刊されたることは琉球の再建に従事しているわれわれ総てにとって重要な事である。米国の民主主義を琉球住民に対して啓蒙することが出来るのは斯くの如き機関に依らねばならない。
軍民両政府の命令、政策及び指令も国際地方の情報とともに報道してもらいたい。琉球の出版界において永続し発展することを余は心からのぞんでやまない。
軍政府情報部長 R.E.ハウトン大尉 沖縄タイムスの創刊の日にあたり祝辞を述べるのは私のもっとも欣快とするところである。貴紙首脳部の方々には発刊準備に際しきわめて協力的真●精力的ににやってきた、当面する資材難を克服し発行部数の増加に対する将来の計画を樹立された。
沖縄タイムスが沖縄人民の情報、時事並に軍民両政府から発せられる指令や命令を報道することは軍政府の要望するところである。
かくの如くすれば官庁も人民も利便を得るであろう。重ねて私は貴紙の成功を祈りわたしの心からのお祝を申述べる。
米国軍政府関係者の祝辞で印象的なのが、「軍政府の命令、政策、司令を報道してもらいたい」とわざわざ言及していることです。この時点で米国側による”発刊の意図”を伺うことができます。
次は沖縄民政府の志喜屋孝信知事の祝辞です。
創刊を祝す – 知事 志喜屋孝信
沖縄タイムス社の創立にあたり祝辞を述べる好機を得ましたことは私にとり最も欣快とするところであります。
終戦後すでに満三年の月日を経過し今や米軍政府の御指導の下漸次光明を見出し沖縄再建へ全住民が逞しく起ち上がったのでありますが復興途上にあってややもすれば流言飛語、誤った認識等が巷間に充満し人民をして●挙安動に誘はんとする嫌があります。
この秋にあたり御社においては正しい報道を以て社会の木鐸たるべく敢然と発足されたことは洵に力強く思ふ次第であります。新聞紙のもつ重大な使命と新聞人の活動はやがて楽しい平和的沖縄を現出せしめるものと信じ御社の洋々たる前途を御祝い申しあげます。
太字の部分はおそらく説明不要かと思われますが、「正しい報道を以て」とは米国民政府あるいは沖縄民政府の布告、布令や政策を沖縄住民に正しく伝えてほしいという意味で間違いありません。
最後に沖縄タイムス社の高嶺朝光社長のコメントです。
創刊のことば
終戦後四カ年今なお荒廃した沖縄には戦前の姿を見出すことはできない、吾々の生活はまことにみずぼらしいものではあるがしかし決して失望してはならぬ。今吾々は建設に努力している、建設は新らしい文化の創造であり、吾々の生活を豊かにし更に子孫に伝える文化を築こうというのだ、そこに希望が輝き勇気が湧き起ってくる、吾々はアメリカの暖かい援助のもとに生活している、この現実を正しく認識することはとりも直さずアメリカの軍政に対する誠実なる協力でありまたこれが沖縄の復興する道である。
吾々は今日からこのささやかなる新聞を同胞諸君に送る、誠にお粗末なものではあるが沖縄の復興に歩調をあはせて吾々の新聞もまた成長して行くであろう、新聞の使命は重大だ、これを十分はたして行くことを念願して努力を捧げよう。
上記の引用を参照すると、『鉄の暴風』(初版)になぜあのような”まえがき”を記載したか理解できます。そして創刊までの経緯が現代基準から見ると”黒歴史”になってしまう沖縄タイムス社に同情を禁じ得ないブログ主であります。(終わり)
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