沖縄の成人式 – 昭和54年以降番外編

(続き)これまで昭和54(1979)年から56(1981)年までの小禄地区における成人式関連の記事を掲載してきました。護憲反安保県民会議などの民主団体が中心となった反自衛隊闘争の裏面史になりますが、記事に目を通したあとに嫌な気分になった読者もいらっしゃるかもしれません。

もちろん反自衛隊闘争に参加した人たちは沖縄県民のごく一部であって、全県民が彼等と同人種と誤解されるといけません。そこで今回は成人式にまつわるいい話を掲載します。読者のみなさん是非ご参照ください。

西銘知事が訓示 – 自衛官の成人式

西銘知事が十四日、自衛隊基地内で開かれた成人式に来賓として出席、成人を迎えた百七十人の自衛官を前にして「この日の成人式は私にとっても意義あること。日本の国防にあたっているみなさんがこれからも使命をもって国のために働いてほしい」と励ました。この日は来賓約百二十名が参加、自衛官を含めて五百名以上となったが、このような大がかりな式典は沖縄に自衛隊が駐とんしてはじめて、

また、県知事が公式行事で基地内に入るのもはじめてのこと、

「自衛隊が沖縄で認められつつあるというのとは無関係」と幹部は口をそろえ、あいさつでも政治的な発言に気をつかっていた。保守県政がスタートして一カ月。自衛官募集を西銘知事が打ち出して「働け、もっと働け、あくまでも働け、平和国家の建設のために……」と自衛隊容認の立場からはげました。また第一混成旅団・河野慎平団長(陸将補)は「従来に例はなく、西銘知事を迎え、このような盛大な式典になったことは意義あることだ。踏まれれば踏まれるほど根をはって自衛官としての任務を果たしてほしい」と訓示した。

引用:昭和54年1月15日付琉球新報11面

ブログ主は、当時の琉球新報が県知事の自衛隊公式行事への参加を報じたことにちょっとした驚きを感じました。ちなみに同年1月16日の夕刊にはこんな所感が掲載されていましたので、この記事を載せることに対して社内に”ためらい”や”恐れ”があったかもしれませんが、それでも記事を掲載したあたりに当時の記者たちの”気概”が窺えます。

人口衛星

◇ 西銘知事、自衛隊内成人式で激励あいさつ。保守県政とはいえ”逆転”に戸惑う県民も

◇ もっとも国民の7割は自衛隊認知。那覇市も成人式に平服で招待。時の流れしみじみー

引用:昭和54年1月16日付琉球新報夕刊1面

次は昭和56(1981)年1月16日付琉球新報朝刊の記事です。

「私たちの血を役立てて」”はたち”の献血大盛況

”はたち”になった記念に献血をと沖縄県赤十字血液センターでは十五日、那覇市の小禄中とダイナハ前、それに沖縄市民会館で移動献血をした。

小禄中では正午から午後四時まで献血を行った。成人式が始まるまでに十五人程度が献血に応じただけで、係員を心配させたが、式典が終わると希望者が殺到。午後四時までに六十七人から採決した。

また、ダイナハ前では九十人、沖縄市民会館では五十五人が献血に応じた。

引用:昭和56年1月16日付琉球新報11面

この記事によると、小禄中学前で正午から午後四時まで移動献血を行ったとありますが、ちなみにその時間帯に反自衛隊闘争に参加した阻止団のみなさんは式典会場の外で”シュプレヒコール”などで気勢を上げて、午後二時半ごろ解散とあります。ブログ主は

そんなに血の気があるなら、献血しろ!

と大声で突っ込みたい気分になったのと、成人式終了後に献血に参加した新成人たちの”大人の対応”に感銘を受けました。

このような優秀な新成人たちが一定数いたからこそ、今があることを現代の沖縄県民はもっと知ったほうがいい

と思いつつ今回の記事を終えます。