沖縄の成人式 – 昭和54年以降その3

(続き)今回は昭和56(1981)年度の小禄地区における成人式開催において、護憲反安保県民会議等を中心とした”反自衛隊闘争集団”とそれに対抗する小禄地区実行委員会の顛末について言及します。

前回(昭和55年度)、小禄地区の実行委員会が警察および機動隊を手配・導入したことで阻止団も何らかの対策を取らざるを得なくなります。その手段として阻止団側は行政から小禄地区の実行委員会に”圧力”をかけるよう要請します。

”自衛隊抜きで” 平良那覇市長

あすの成人式で意向

護憲反安保県民会議の赤嶺栄一副議長、渡久地政弘事務局長らは十三日午前、那覇市の平良市長を訪れ、十五日の成人式に自衛隊員を参加させないよう強く申し入れた。

代表は「違憲の自衛隊を成人式に参加させないよう、教育委員会、四地区の自治会成人式実行委員会を指導してほしい」と要請。

これに対し平良市長は「那覇市としても反自衛隊の立場から教育委員会に対し強く申し入れ、指導する」と述べた。

那覇市の成人式は二年前までは一括して催していたが、今は四地区で別個に実施している。とくに小禄地区は自衛隊員も多く、反自衛隊の民主団体、革新政党とのトラブルも絶えない。

今年はとくに実行委が民主団体などの立ち入りを大幅に規制しているため、

反自衛隊をめぐり民主団体との混乱は避けられそうもない。

成人式当日、護憲反安保、革新政党では小禄中学校体育館前で自衛隊員に対し不参加を呼びかける一方、一般成人者にも「自衛隊は憲法に違反する軍隊、参加させない運動を」と啓発活動する。

引用:昭和56年1月14日付琉球新報11面

だがしかし、この要請は不発に終わります。理由は簡単で、昭和54年から成人式の開催を地区の実行委員会に委任した以上、那覇市側には(成人式に自衛隊を参加させないよう)強制的に指導する権限がないからです。平良良松市長としても、個人の立場としては阻止団に同情的も、市長の立場からすれば「那覇市としても反自衛隊の立場から教育委員会に対し強く申し入れ、指導する」としか言及できません。ブログ主が案ずるに市長の本音は「やっかいごとを持ち込むな」で間違いありません。

それに要請の日付が1月13日であることも手遅れ感が否めません。なぜなら成人式の開催準備は前年度末(10~11月あたり)から始まっていて、すでに新成人宛に招待状が送付されているのです。だから、開催直前に自衛官の参加自粛を要請してもはっきり言って意味がないのです。

このようにして反自衛隊闘争の阻止団の行動は”手詰まり”の状態に陥りますが、それに対する小禄の実行委員会は万全を期して成人式を開催します。その様子は下記引用の琉球新報記事をご参照ください。

肩すかしを食った阻止団 小禄の成人式

自衛隊、早々と入場 場外はマイク応酬で騒然

「成人式を自衛隊の軍靴で汚すな」「護憲反安保は自衛隊員の人権を認めないのか」-。十五日、小禄地区の成人式が行われた小禄中学校周辺はマイクの応酬で騒然としたふんい気。しかし、当の自衛隊員はすでに会場入り。自衛隊員の成人式への参加阻止を叫ぶ護憲反安保県民会議や労組員らは肩すかしを食った感じ。このため自衛隊員と阻止団との目立ったトラブルはなかった。現場では県警察機動隊員二個小隊八十人が警備に当たったが、阻止団と勝共連合、沖縄誠義党間のマイクによるヤジ以外は平穏ムード。阻止団は成人式の終わる前の二時半ごろ行動日程を終え解散。同校前で成り行きを見守っていた付近住民はトラブルがなかったことにホッとした表情だった。

「しかし、当の自衛隊員はすでに会場入り」の顛末は下記引用をご参照ください。

機動隊80人が警備

この日、小禄地区で成人を迎えた人は男子三百四十五人、女子二百二十七人で合計五百七十二人。そのうち百三十二人は自衛隊員で全員男子。

自衛隊員が会場の同校体育館に着いたのは午前十時ごろ。陸上自衛隊六十六人のうち四十八人、航空自衛隊六十人中二十四人、海上は六人のうち二人の合計七十四人。各部隊ごとにマイクロバスで上司に伴われ会場入りした。服装は全員、背広姿の私服。これは「制服にすれば一般の人たちとトラブルを起こす恐れがある」との配慮からだったという。

阻止団の現場集合時間は午前十一時。

自衛隊員らがマイクロバスで会場入りした時、現場の阻止団の姿はチラホラといったところ。

阻止団は十二時前には約四百人にふくれ上がったが、あとのまつり。完全に肩すかしを食った感じだった。

現場には田場盛徳護憲反安保県民会議議長らもかけつけ午前十一時ごろから集会を開きシュプレヒコールなどで気勢を上げた。ピケラインでは晴れ着や背広姿の成人式参加者らをチェック。自衛隊以外の参加者が到着すると「成人おめでとう」と拍手で迎え、ビラを配って自衛隊反対を訴えた。単独で会場にくる自衛隊員はほとんどなく、阻止団のチェックの”網”にかかる人は確認できなかった。

ところが現場で阻止団が集会を開く前から勝共連合と沖縄誠義党の右翼団体が宣伝カーで乗りつけ、阻止団攻撃を行った。このため周辺は緊迫した空気に包まれた。勝共連合が阻止団と対じする形で同校前の駐車場に宣伝カーを乗り入れ、阻止団に”反日日本人は出ていけ”とアジ演説。一方の誠義党は日の丸の旗を掲げた黒塗りの宣伝カーで阻止団の座り込んでいる同校前の道路を往復。”赤いタヌキのいうことは信用するな”と阻止団攻撃を続けた。

午後零時半ごろ誠義党のメンバーが阻止団の前に宣伝カーを止め威圧行動、現場は一時騒然となった。しかし機動隊員が双方に割って入ったためトラブルはなかった。また、学生セクト集団約二十人も阻止団に合流しようとしたが、機動隊の規制で同校正門前から約五十㍍も押しやられ、目立った行動はみられなかった。

引用:昭和56年1月16日付琉球新報11面

大雑把にまとめると、事前に自衛隊員の新成人たちが式典に参加することを確認し、阻止団の現場集合時間も察知した上で、自衛隊側と打ち合わせをして当日スムーズに会場入させた流れになります。誤解を恐れずに言えば、小禄地区の実行委員会の際立った手際のよさに対して、

阻止団のお馬鹿ぶりが全沖縄に曝されてしまった

ことになりましょうか。ちなみに同日の沖縄タイムスの記事もチェックしたのですが、控えめな表現ながらもハッキリと記者たちの本音が透けて見えます。もちろんこんな間抜けな言動を行うのはあくまで一部の県民であって、全沖縄民が同種と思われてはブログ主も不本意でかつ不愉快です。それゆえに次回は成人式にまつわるいい話を紹介することにして今回の記事を終えます(続く)。