本日(2月27日)の琉球新報に面白い内容の読者の投稿がありますので、当ブログでアップします。早速ですが全文をご参照ください。
論壇 – 明治維新150年 – 沖縄を確と見詰め直そう
本紙「日曜の風」に執筆している浜矩子同志社大大学院教授の主張(18日付)に触発された(下記参照)。
浜氏の論旨は、明治維新150年を機に、単純思考がそれぞれ動き出している今の世相に対し、氏独自の視点から異を唱えながら、警鐘を鳴らしている。
「明治維新」というのは、何の疑問も持たずに俯瞰すれば、日本が晴れて世界の仲間入りをした起点としての共通思考で受け継がれている。しかし、西洋諸国では、近代化に向けて諸々の改革を成し続けている最中で、日本は依然として、自国内だけで勢力争いをし、体外的には鎖国を固守し続けてきた。
それが、いくつかの外国に開国を迫られて、それでも抵抗しながらも、力及ばず開国をした。そのことで、徳川幕府が、いわゆる「大政奉還」をして、武力政治が終焉した。
それに代わって、それまで権力の中枢から袖にされていた天皇制に、全ての機能を託すことで、明治維新が始まった。そのことは、長年にわたる武力政治に終止符が打たれ、新たな国の形ができたという意味で「明治維新」といわれ、日本の現代史の中で、最も価値のある分岐点として、日本人の共通認識になっていると言えよう。
しかし、その 150 年を、安倍晋三首相が「あの時の日本人にできたことが、今の日本人にできないはずはない」と言うのを、浜氏は問題視している。そして、今年が第一次世界大戦終結 100 年であることに目を向け、これがなければ第2次世界大戦はなかったと強調。それに伴う広島・長崎への原爆投下もなかったし、沖縄における悲惨と悲嘆もなかったと指摘している。
沖縄から見れば、明治維新 150 年は、悔い改めなければならないことはあっても、ことさらに評価したり、称えることは何もない。全て、日本国の繁栄のための犠牲を強いられ、今なおその延長線上に喘がされているのである。
1609 年の薩摩の琉球侵攻から、琉球に対するヤマト(大和)支配が始まり、1879(明治12)年の琉球処分(武力による併合)。そして、勝手に沖縄を、ヤマト本体が生き延びるための戦場(捨て石)にしておきながら、敗戦になれば、これまた勝手に、アメリカに差し出す。にもかかわらず、今度は、全て日米の軍事戦略をベースにした密約によって、沖縄を日本に復帰させた。在日米軍基地の 70% 以上を押し付けられ、その上、高江・辺野古の現実に直面させられている。これが、沖縄における「明治 150 年」であり、これを機に、日本における「沖縄県」を確と見詰め直すのは、今の沖縄人の責務だと思う。(那覇市、81歳)
上記の投稿で興味深いのは「沖縄から見れば、明治維新150年は、悔い改めなければならないことはあっても、ことさらに評価したり、称えることは何もない。」と断言していることです。その理由は下段に、いかに日本の繁栄のために沖縄が犠牲になったかを叙述していますが、その内容の是非はともかく、「何もない」と言い切ったところが正直なところ怖い。
いろいろ突っ込みたいところはありますが、たとえば今回のように投稿者が新聞に投稿できるようになったのも、明治26(1893)年に琉球新報が誕生して、沖縄に新聞文化を根付かせたことです。明治12(1879)年の廃藩置県後はかつて琉球王府ではとてもできなかった諸政策を断行することで、沖縄社会は旧慣からの決別に成功します。その最たるものが“女子教育の普及”と“形式的な平等観念の普及”でしょうか。評価すべきポイントはちゃんとあるのです。
上記の投稿から、明治12(1879)年の廃藩置県後(日本政府における)沖縄に対しての最大の失敗政策は“大東亜戦争に敗北したこと”だと実感します。理由は戦前と戦後では余りにも価値観が変わり過ぎてしまい、その結果歴史認識が極端になってしまったからです。だからこの投稿者はある意味時代の犠牲者と言えます。戦争に負けるということは、国家だけでなく個人の価値観にまで甚大な影響を及ぼす好例でしょうか、実に悲しい現実です。(終わり)
平成30年2月18日 日曜の風 世界大戦100年も回顧を – 明治維新150年 – 浜矩子
今年は明治維新150周年の年。このことが、とても派手にもてはやされている。確かに、大きな節目だ。これを機に、明治期をしっかり振り返るもいいだろう。だが、どうも気になる。明治維新150周年に関するテーマなら、公的資金も確保しやすい。四方山話ではあるが、そんなことも漏れ聞こえて来る。
安倍首相が、「あの時の日本人にできたことが、今の日本人にできないはずはない」という類の言い方をする。彼がそれを言う時の「あの時」は、一に明治維新で二に高度成長期だ。どうも、今の明治維新150周年一色モードと無関係ではないような気がする。
確かに、今年は明治維新150周年の年だ。だが、今年は、第一次世界大戦終結100周年の年でもある。第一次世界大戦がなければ、第二次世界大戦はなかった。第二次世界大戦がなければ、広島・長崎への原爆投下もなかった。沖縄の悲惨と悲嘆もなかった。明治維新150周年がお祭り騒ぎに仕立て上げられようとしている今、第一次世界大戦100周年をもっとしっかりかみしめておきたいと思う。
さらにいえば、今年の50年前は1968年だった。世界中で学生たちの反戦・反体制運動が盛り上がった年だ。世界が激動した。チェコスロバキアで「プラハの春」が沸き起こった。フランスで「5月革命」が勃発した。東大紛争もあった。だが、明治維新150周年の掛け声が響きわたる中で、50年前を回顧しようという動きは影を潜めている。
面白いもので、10年前の2008年には、その時点で40年前だった1968年を振り返る催しがあったり、68年をテーマにしたさまざまなコメントがネット上に登場したようだ。50周年の今年の方が区切りがいいのに、今年は、少なくともまだそのような状況が出現していないようである。この違いは何なのだろう。
思えば、2008年は09年の前の年だ。民主党政権への政権交代に向かって、日本の政治の大きな地殻変動が顕在化し始めた時期だった。ひょっとして、この辺が関係あるかな?こじつけかもしれないが、こんなところも見落とさない方がいいかもしれない。