令和5年10月5日付沖縄タイムス1面によると、「玉城デニー知事は4日、名護市辺野古で国が進める新基地建設の軟弱地盤改良工事を巡り、設計の変更申請を承認するよう求めた斉藤鉄夫国土交通相の指示に従わず、同日までの期限内には承認しないと発表した。「期限までに承認を行うことは困難」と文書で回答した。」とあり、それを受けて国交相が5日にも代執行訴訟を提起した経緯については、これまで沖縄二紙をはじめ、様々なメディアで報じられてきました。
今回の案件はあまりにも情報量が多すぎて、頭を整理するのに時間がかかっている状態ですが、今回は「民主主義の失敗」について考察します。
玉城知事が最高裁判決、および国交相の「指示」に対して、「期限内での判断困難」に追い込まれた最大の理由は「民意」です。ご存じに通り、今回の案件で知事はむつかしい立場に立たされました。すなわち「行政の長」として最高裁判決を「承認」するのか、それとも2度の知事選で示された「民意」を元に「不承認」を宣言するのかの2択です。
ただし、玉城知事は「判断困難」を理由に「不承認」の態度を明確にしませんでした。「判断困難」の事情を大雑把にまとめると、「最高裁の判断は理解できます。ただし沖縄の “諸事情” から承認・非承認の態度をはっきりさせることができません。国は法に則って工事を進めるでしょうが、県としては『反対運動』を継続します」になりましょうか。そして、沖縄の諸事情の一つが「民意」なのです。
ただし、現代社会は法に則って「民意」を定めます。事実、辺野古新基地反対運動も、3度の県知事選と平成31年(2019)の県民投票も「法に則って」行われ、そして「民意」が示されたのです。そのため、今回の事例は、一方では法に従い、一方では最高裁の判断に従うことができない矛盾した状態になっています。
いわば、二重思考の典型例
なのですが、ではなぜこのような状態に陥ったかを考えると、玉城知事の支持者内において “民意が暴走” したからに他なりません。つまり、法によって示された民意それ自体が独り歩きして支持者たちの行動を強く縛ってしまい、結果として民意が法の上に君臨する事態になったからです。
近代デモクラシーにおける政治形態(いわゆる民主主義)は形式性と時限性を極めて重視します。それを支えているのが「法」ですが、今回は民意によって法が蹂躙された残念な事態になってしまいました。用此觀之(これによってこれをみるに)、
“民意の暴走” が結果としてデモクラシーを危機に陥れうる
ことになります。いわゆる「民主主義の失敗」ですが、これは資本主義における「失業と倒産」と同じく、近代デモクラシーでは避けることのできない事例なのです。
余談ですが、民主主義になぜ失敗がつきものかというと、それは「社会の復元力」に強い信頼を置いているからです。つまり、失敗を繰り返すことで、よりよい社会を築き上げるという “楽観的な予定調和説” が民主主義の根幹にあるのです。そのため、今回の案件も沖縄がよりよい社会を作り上げるための試練と見做し割り切って捉えるのが最良ではないかとブログ主は確信しています。
最後に、民意の暴走による民主主義の失敗といえば、直近では2020年の米国大統領選挙、我が国では平成21年(2009)9月の鳩山政権誕生を思い浮かべる読者もいらっしゃるかと思われます。そして、極めて興味深いのが平成21年8月の衆議院選挙では玉城知事は民主党の公認候補として沖縄3区から立候補して当選しています。それはつまり、
彼は二度も民主主義の失敗にかかわった稀有な政治家なのです。
最後についうっかり余計なことに気が付かされたブログ主であります(終わり)。