権力の継承

ここ数日ブログ主は”権力の継承の観点から見た琉球・沖縄史”のテーマでいろいろと考えていました。その理由は琉球・沖縄史において権力の継承が一番安定しているのが現代と慶長の役(1609年)から廃藩置県までの尚家支配の琉球国の時代であり、意外にも不安定だったのが廃藩置県後の大日本帝国とアメリカ世(1945~1972)の時代であることに気がついたからです。

それともうひとつこのテーマに興味を持ったのが、昭和55(1980)年5月発行の琉球新報社編『トートーメー考』のなかの論文「王代記から見た尚家の家督相続」に感銘を受けたこともあります。『トートーメー考』の発刊は琉球新報社の歴史における大業績といっても過言ではありませんので、読者のみなさんも是非読んでいただきたいのですが、今回は論文「王代記から見た尚家の家督相続」(源武雄著)をベースに権力の継承についてブログ主なりにまとめてみましたのでご参照ください。

まず沖縄本島におけるトートーメー(ここでは”ご先祖様の位牌”の意味で使います)におけるタブーについて源武雄さんは次のように説明しています。

古い沖縄の風俗習慣信仰を継承している現在の沖縄人は、いろいろな悩み、矛盾、相克を持っているが、今、問題になっているトートーメーをめぐる問題について考えてみると、家(家督、祭祀)の相続の中で、タチーマジクイを忌む慣習、チャッチ・ウシクミを忌む慣習、チョーデー・カサバイを忌む慣習になじめないという大きな悩みであろう。

このタチー・マジクイ、チャッチー・ウシクミ、チョーデー・カサバイを忌むこと、三大タブーの風習は沖縄本島の首里・那覇を中心とした士族社会その影響下にあった地方の村々に濃く見られるようである。

タチー・マジクイというのは、他の血族のものに、家(家督、祭祀)の相続をさせてはならぬ、それは忌み嫌わねばならぬという考え方である。

チャッチー・ウシクミというのは、家の継承者は嫡男子でなければならぬという考え方である。嫡男子以外の子女に跡を継がせてはならぬという考え方である。チャッチ・ウシクミとは嫡男子を押しこめて嫡男子以外の者に跡を継がせるという意味である。

チョーデー・カサバイというのは、兄の跡目を弟が継いではならぬ。弟の二男に継がせるべきであるという考え方である。チョーデー・カサバイは直訳すると兄弟重りと書くが同じ位牌に兄と弟を祭ることで、兄の死んだ時、弟が跡目を継ぐと、その弟が死んだ時には兄と同じ位牌に祭られるからである。それがいけないというのである。

私はこの三つの考え方を三大タブーと称している。これらのタブーを犯すと、祖先のとがめを受けて子孫に凶事があるというのである。この祖先のたたりがあることを強調するのは、この三つのタブーを犯しめないようにする予防策として唱え出されたものと思う。古い風習を継承している沖縄の古老たちは、そのたたりを極端に恐れてきた。

引用:琉球新報社編『トートーメー考』188~189㌻より抜粋。

上記の引用はちょっとわかりにくい部分もあるため、沖縄タイムス社編『沖縄大百科事典』および図解しながらトートーメーにおける三大タブーについて説明します。

まずタチーマジクイ(直訳すると他血〔族〕交わり)は、『沖縄大百科事典』の説明のほうが分かりやすいのでご参照ください。

タチーマジクイ 祖先の位牌のなかに男系血縁以外のものが混入していること。他系の養子を迎えたときなどに起こり、禁忌とされる場合が多い。これを避けるためには、男系の血縁者、とくに兄弟の二男を養子にするのが理想とされる。→位牌継承 〈笠原政治〉

上記の引用によると家督相続(トートーメー含む)において父→子(男系)が大原則であること、他の血族が混じること(たとえば婿養子)は絶対にダメであるという考え方です。現在の天皇家の皇位継承がまさにこの発想であり、第二尚氏の王位継承もこのタブーを犯した例はありません。

ちなみにタチーマジクイのタブーに関して、一番分かりやすいのが漫画『修羅の門』の陸奥圓明流の継承でしたので、ブログ主が図解しました。

この図を参照すると、9代鬼一から10代虎一の継承がトートーメーにおける”タチーマジクイ”のタブーを犯していることが分かります。ちなみに『修羅の門』の主人公である陸奥九十九の継承についても下図を参照ください。

不破圓明流は400年前に陸奥から分家していますので、39代真玄から40代九十九の継承は厳密な意味でタチーマジクイのタブーを犯していないのですが、もしも兄の冬弥が40代を継承していた場合は、タブーを犯していたことになります。

漫画『修羅の門』(あるいは外伝『修羅の刻』)は東北地方が舞台ですので、沖縄本島における厳密な父系継承のタブーはなかったのかもしれません。ただし沖縄(とくに本島)ではこのような継承は忌み嫌われた時代があったのです。

次はチャッチウシクミ(直訳すると嫡子押し込め)について説明します。『沖縄大百科事典』の説明をご参照ください。

チャッチウシクミ 長男をさしおいて二男以下が財産相続、位牌継承などをすること。正当な処置とはされない場合が多い。相続・継承のさい長男優先の観念をあらわしているが、子どもの嫡庶により、だれを長男とするかなど微妙な点もある。 〈笠原政治〉

このタブーは非常に分かりやすく、確かに長男を差し置いて次男以下が家督を相続するとお家騒動が勃発する恐れがあります。日本史においては保元の乱(皇位継承の乱れが主因)が該当しますし、琉球史においても第二尚氏における尚真→尚清における王位継承がこのタブーを犯しています。

最後にチョーデーカサバイ(直訳すると兄弟重なり)についても『沖縄大百科事典』の説明をご参照ください。

チョーデーカサバイ 同じ仏壇の位牌立てに兄弟どうしの位牌を並べてまつること。禁忌として積極的に避けようとする場合が多い。次世代に2人以上の男子がいれば、ふつう二男以下が傍系の位牌を継承するなどの解決策がとられる。→位牌継承 〈笠原政治〉

ちなみに図解するとこのようになります。

なぜチョーデーカサバイがタブー視されたかというと、「兄弟どうしの位牌を並べてまつると子孫が祟られる」という発想からです。実際にタタリがあったかは不明ですが、昔の人はそれをかたくなに信じていた時代があったのです。

以上がトートーメーにおける三大タブーをブログ主なりに説明しましたが、論文「王代記から見た尚家の家督相続」のすごさは、このタブーから視て第二尚氏の王位継承がどのように行われてきたかを考察していることと、尚円から尚寧までの王位継承が極めて不安定であることを見事に説明していることです。この件に関しては次回詳しく説明します(続く)。