木を見て森を見ず – その2

前回の記事において「新潮45」に寄稿された杉田水脈さんの論文を掲載しました。個人的には全文を読んだかぎりごく当り前のことを淡々と述べた印象ですが、朝日新聞や沖縄二紙、そして立憲民主党などから杉田論文に関して非難の声があがっています。

今回、当ブログにおいて7月25日付朝日新聞の社説と、同日沖縄タイムス〈大弦小弦〉、そして26日の沖縄タイムス社説の全文を掲載します。これら3つの記事を参照したところ、共通して「生産性」という単語に過剰反応している印象があります。たとえば朝日新聞は、「異性のカップルであっても、子どもを産むか産まないかは、個人の選択である。それを『生産性』という観点で評価する感覚にぞっとする。歴史的に少数者を排除してきた優生思想の差別的考えとどこが違うのか。と激しく批判しています。

朝日新聞や沖縄タイムスの記事で気になったのは「生産性」の前後の文章を全く引用していないことです(下記参照)

(中略)リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはず。「行きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。

例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果していいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要綱を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。

たしかに子育て支援という”大義名分”には大衆は納得しやすい、そして支援名目で行政が税金を投入できる環境が作りやすい現実があります。ただし、”多様性社会の構築”の大義名分のために行政がLGBT支援を行うことに住民の理解が得られるか、「生産性」というキツい語句を使用していますが、本当に国民の理解を得られるのか?この点を問題視しているのです。

杉田さんはLGBT(性的少数者)が存在する現実を否定していません。タイトル通り「支援の度が過ぎる」と指摘しているだけです。もしも「差別」や「優生思想」とやらにつながるならば、”性的少数者は社会にとって不要、それゆえ何らかの処置が必要”の論調になりますが、そんなことは一言も述べていません。「生産性」の単語に過剰反応した人達の勝手な思い込みです。

なお「生産性」の発言なら2007年1月18日にこんな発言がありますが、菅直人氏は東京と愛知の住民は「生産性が低い」発言することで、重大な人権侵害を行ったのでしょうかね、是非赤嶺由紀子さんにお伺いしたいところであります。(終わり)


平成30年(2018年)7月25日 朝日新聞社説 LGBT – 自民党の認識が問われる

性的少数者をあからさまに差別し、多様な性のあり方を認めていこうという社会の流れに逆行する。見過ごせない見解だ。

自民党の杉田水脈衆院議員(比例中央ブロック)が「『LGBT』支援の度が過ぎる」と題した月刊誌「新潮45」への寄稿で、同姓カップルを念頭にこんな持論を展開した。

「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。そこに税金を投入することが果していいのかどうか」

異性のカップルであっても、子どもを産むか産まないかは、個人の選択である。それを「生産性」という観点で評価する感覚にぞっとする。歴史的に少数者を排除してきた優生思想の差別的考えとどこが違うのか。

杉田氏は、日本は寛容な社会で、LGBTへの差別はそれほどでもないという見方も示した。事実誤認もはなはだしい。学校や職場、地域での偏見や差別は各種の報告でも明らかだ。

さまざまな性的指向を認めれば、「兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころかペット婚や、機械と結婚させろという声も出てくるかもしれません」という主張に至っては、噴飯物というしかない。

同じ自民党内の若手議員から「劣情をあおるのは政治ではなくて単なるヘイト」といった批判があがったのも当然だ。

ただ、こうした認識は党内で共有さえていないようだ。

驚いたのは、きのうの二階俊博幹事長の記者会見である。

「人それぞれ政治的立場、いろんな人生観がある」「右から左まで各方面の人が集まって自民党は成り立っている」

杉田氏の見解を全く問題視しない考えを示したのだ。

自民党はもともと伝統的な家族観を重んじる議員が多い。しかし、国内外の潮流に押される形で、昨秋の衆院選の公約に「性的指向・性自認に関する広く正しい理解の増進を目的とした議員立法の制定を目指す」と明記、「多様性を受け入れていく社会の実現を図る」と掲げた。杉田氏の主張は、この党の方針に明らかに反する。

杉田氏はSNSで自身への批判が広がった後、ツイッターで「大臣クラス」の先輩議員らから「間違ったことは言ってないんだから、胸張ってればいいよ」などと声をかけられたとつぶやいた。こちらが自民党の地金ではないかと疑う。

少数者も受け入れ、多様な社会を実現する気が本当にあるのか。問われているのは、一所属議員だけではく、自民党全体の認識である。

平成30年(2018年)7月25日 沖縄タイムス〈大弦小弦〉

国会議員の発言に失望したことは何度もある。だが、これほど危機感を覚えたのは初めてかもしれない。自民党の杉田水脈衆院議員が月刊誌に寄稿し、LGBT(性的少数者)の行政支援に疑問を呈した▸LGBTカップルへの支援に税金を使うことがいいのかを問い、その理由に「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない」と主張したのだ▸そもそも人を「生産性」で区分けすること自体が、重大な人権侵害である。当事者だけでなく、個々人の生き方を無視する乱暴なとらえ方で、差別を助長する。LGBTの差別を禁止するなどの法整備を求めるLGBT法連合会は23日に抗議声明を出した▸杉田氏は「LGBTだからといって実際そんなに差別されているのか」とも述べる。性的指向や性自認により、差別・偏見に悩む実態は多くの調査で明らかになっている。多様性を認める社会つくりにも逆行し、無理解も甚だしい▸だれでも生きづらさを感じるときがある。それが社会の仕組みや習慣、風潮、差別によって生じるものであれば、見直し、解消することが共生社会の流れだろう▸杉田氏は殺害予告メールを受け、関連するネット上の投稿を削除したが、謝罪はない。党の処分もない。国民の負託を受けた国会議員なら、困難を抱える人の声に率直して耳を傾けるべきだ。(赤嶺由紀子)

平成30年(2018年)7月26日 沖縄タイムス社説 LGBT差別寄稿 – 許しがたい排除の論理

当事者の心を深く傷つけ、誤解と偏見に満ちたおぞましい主張だ。

「『LGBT』支援の度が過ぎる」とのタイトルで自民党の杉田水脈衆院議員(比例中国ブロック)が、月刊誌に寄せた文章に批判が集まっている。

寄稿したのは今月発売の月刊誌「新潮45」。杉田氏は性的少数者(LGBT)のカップルに対し、こう持論を展開した。

「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」

全国の自治体で同性カップルを公認する制度など行政支援が進んでいることに、疑問を呈したかったようだ。

しかし全てのカップルにとって、子どもを持つかどうかは、それぞれの生き方の問題である。国がどやかく言うことではない。

そら恐ろしいと思ったのは、「生産性」という物差しで、人間をより分け、人権侵害を正当化している論法である。

この発言に対し、作家の乙竹洋匡氏が「国家にとってどれだけ有益かという観点から優劣がつけられる社会になれば、次に排除されるのは『私』かもしれない」とツイートした。

入所者19人が犠牲になった相模原障がい者施設殺傷事件の被告が持っていた「優性思想」とつながるものを感じている人は少なくない。

杉田氏は「LGBTだからといって、実際そんなに差別さえrているものでしゅか」とも主張する。同性婚を認めれば「兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころかペット婚や、機械と結婚させろという声も出てくるかもしれません」とづつる。

内閣府が昨年10月に実施した世論調査で、性的指向に関する人権問題として、2人に1人が「差別的な言動」を挙げた。

職場で不当な扱いを受けたり、学校でいじめの対象になるなどの差別は後を絶たず、杉田氏の認識は明らかに誤っている。

加えて当事者らが侮蔑的と感じる文章からは、差別に苦しみ、差別と闘ってきた人たちへの配慮も敬意も感じられない。

重い職責に見合った見識や品性がないのだから、政治家失格である。

この寄稿に関して自民党の二階俊博幹事長は「人それぞれ、政治的立場はもとより人生観もいろいろある」と述べ、静観の姿勢を示した。

昨年の衆院選の党公約で「性的指向・性自認に関する広く正しい理解の増進」を掲げたことを忘れたわけではあるまい。

政治的立場がどうあれ、差別を助長するような発言は許されない。多様な生き方の尊重は世界的な流れであり、そのための解決策提示が政治の仕事である。

党として処分を科さないというのなら、暴論に同調したと受け止めるだけだ。