基地の街の話題といえば、コザの外人車、焼きうち事件でもちきりである。積年の米政策に対する怒りが爆発したのだ!というのが一般の世論?と受けとられがちだが、声なき声どころか、これはマスコミのつくりだした風潮だと嘆く人々の多いことを知るべきである。
戦国時代の仇討ちでもあるまいし、目には目、歯には歯、いかなる手段も辞さないとなれば、法治国民はおろか「自治は神話なり」もあながち暴言とは片付けられなくなる。
要求すべきは堂々と挙県一致で要求すべき勇気を持たずドサクサにまぎれて、個人所有の – いくら黄ナンバー車輛といえ、個人の財産である – 自動車まで焼き捨てるのはどう考えても正常ではない。
といって、アメリカのひいきをするわけでは決してない。事件の背景の一つとなった、糸満の主婦れき殺事件の裁判など、誰が聞いても許せるものではない。占領意識まる出しの、片手落ちの裁判である。
人を轢き殺して無罪なんて判決は聞いたことがない。沖繩人は虫ケラではない。こんな裁判がまかり通るなら、沖繩人は道も歩けなくなる。
然し、だからといって、暴力をもって「しかえし」していいという論には賛成できない。
しかも、この事件によって、コザの街は文字どおり人が消えてしまった。クリスマス、歳末のかきいれどきをひかえて、店の飾りつけ、仕入れ等に金をかけ、手ぐすねひいて待っていたところへこの事件である。
グリーンワンの発令ですべてのネオンは消え、店は大戸をおろし、その日からマヒ状態となってしまった。
衆知のとおり、基地の街コザ市は、基地収入によってなり立っている街である。Aサイン業者のみではない。あらゆる形で、あらゆる人々の生活が何らかの影響をうけているのである。
それは、コザ市へ商品を出荷している農家にも、那覇の商社にも悪影響を与えているし、日雇いの労働者にも建築関係工事のストップに影響しているのであって、沖繩経済全般にとって決して小さい問題ではない。しかし、何といってもまっさきに困るのはコザ市民である。コザ市民の生活権が現実に侵害されているのである。人権の中でも、決して比重の小さくない「生活権」が、踏みにじられているのである。
アメリカへの憎しみから出た暴挙が、同胞の生活権を侵害していることに気がつかないのだろうか。それとも、コザ市民は飢えてもいいというのだろうか。あまりにも無責任な、ひとりよがりの「うっぷんばらし」に眉をひそめるのは筆者ひとりではあるまい。
25年の差別の歴史に犠牲を感ずるのは90万県民なべて同様である。生活のために、あるものは官職につき、ある者は軍雇用員となり、ある者はAサイン業者になったまでの話であって、90万県民はすべて同胞である。立場によって思想も、考え方も、行動も多少の差は出てくるもので、その故に憎しみ合い、苦しみ合うことは愚の骨頂である。
守礼の邦の同胞よ、誇りを堅持しようではないか。そして、1日も早くコザ市の兄弟たちが笑顔をとり戻すように、グリーンワンの解除が早からんことを祈ろうではないか。
「暴挙の民」のレッテルをはられては、将来の観光立県はおぼつかない。1日も早く「守礼の邦」の面目をとり戻そう。
(話題 「コザ暴動に想う」 沖繩評論の1971年1月16日号から)